「有能なら、そして人望などあったりしたら、真っ先に粛清すべき」という命題
仮に彼が有能だったとしても、長生きすれば豊臣家を延命できたかは、歴史に照らすと疑わしい。歴史上、権力を極めた人間の思考は似るもので、〈有能なら、そして人望などあったりしたら、真っ先に粛清すべき〉と考え始める。それが弟で、自分の実の子とその子孫の家督継承を脅かす存在ならなおさらだ。源頼朝が武士の頂点に立った時、指揮官として貢献してきた弟の範頼も義経も落命した。足利尊氏と弟の直義は仲がよく、合理的な役割分担をこなしたにもかかわらず、武士達が勝手に尊氏派と直義派に分かれて激突を避けられなくなり、最後は直義が命を落とした(尊氏派による暗殺説がある)。秀吉が秀頼という実子を得た時、有能な秀長を早めに除去するという選択肢が芽生えた可能性は十分に高い。
室町幕府では、将軍の弟がしばしば非業の死を遂げた。〈厚遇するが、将軍職への野望は抱かせない〉というバランスのよい処遇を発明できず、殺すことになり、そのたびに幕府自体が弱体化した。それを踏まえた時、徳川家康の最大の強運は競合者となる兄弟がいなかったこと、最大の成功は2代将軍秀忠の弟たちを御三家として立て、絶妙な政治的立ち位置を与えたことだと私は考えている。幕府という組織は、400年かけて2回実験して2回失敗し、3つ目の幕府でようやく“君主の弟”の扱い方を覚えた。
戦国時代までを見る限り、有能な弟は、いつか処理しなければならない地雷だった。その処理を秀吉がどう構想していたのか。秀吉は、実は室町幕府の滅亡を可能な限り穏便に済ませ、過去の遺物となった武家政権の店じまいを、歴史上でただ一人、軟着陸させた天才だった(平家や鎌倉幕府や江戸幕府に対しては、次の権力者は武力討伐より優れた工夫をしなかった)。その彼なら秀長の処遇も、現代人の想像もつかない方法で構想したかもしれない。それは歴史学として十分に興味深い研究テーマである。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2026年の論点100』に掲載されています。


