なぜ稲田堤と呼ばれるのか

 歴史的に見ると、圧倒的に古いのは言わずもがなの南武線稲田堤駅だ。1927年に当時の南武鉄道の駅として開業した。駅名の由来は、駅のすぐ北の多摩川の土手・稲田堤からいただいた。

 

 もともとこの地域は南武鉄道が開業する以前、多摩川沿いの小さな田園地帯に過ぎなかった。せいぜい現在の府中街道沿いにいくらかの集落があるくらいの農村だ。

 ところが、そんなところが急に観光名所になった。明治時代、当時の稲田村の人々が多摩川の土手に約250本の桜の木を植えたのだ。

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 日清戦争の戦勝記念だったという。話題が話題を呼んで名所として知られるようになり、“稲田堤”の名もついた。

 

 上野や飛鳥山と並んで関東地方を代表する桜の名所として、遠方から足を運ぶ人も多く、たいそう賑わった。この桜がなければ、稲田堤駅が設けられることも、それに紐付く駅前の市街地も生まれなかったのかもしれない。

まちを一変させたニュータウン計画

 商店街になっている踏切道は、どうやら稲田堤駅の開業直後にはできていたようだ。北に進めば桜の土手に、南に進めば府中街道へ。府中街道に向かう道には商店街が形成され、少しずつ市街化も進んでいったのだろう。

 

 そして稲田堤駅開業から半世紀ほど経った1971年、京王稲田堤駅が開業する。多摩ニュータウンの建設に伴って、その時点では多摩川の北側までしか延びていなかった京王相模原線(当時は多摩川支線)の延伸が決定。多摩川を渡った最初の駅が、京王稲田堤駅だった。

 

 地図を見るとなんでもう少し乗り換えしやすくしなかったのか、などという疑問も浮かぶ。その当時はいまほどは市街化も進んでおらず、互いに駅の位置をちょっと調整するくらいならなんとかなったのではなかろうか。