どうして乗り換えしにくいのか?

 まあ、まだその頃の南武線沿線は発展前で、かの武蔵小杉とてタワマンどころか工業地帯だった。稲田堤で南武線と京王線を乗り換える需要が大きなものになるとは、誰も思わなかったのかもしれない。

 

 それがフタを開ければ多摩ニュータウンの完成と南武線沿線の人口増加によって、稲田堤・京王稲田堤の乗り換え客はみるみる増えた。

 それに伴って、乗り換えルートになった小さな道にも商店街が形成。周辺の田畑もどんどん減って、住宅地に変貌した。府中街道沿いや町中を流れる三沢川という小さな川沿いも、いまやすっかり住宅密集地だ。

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 それでも、ところどころにはまだ農村時代の面影が残っている。この一帯は、お隣の東京都稲城市とともにナシの産地として有名だ。

 南武線の車窓からもナシ園を見ることができる。のどかな郊外から首都・東京のベッドタウンへ。その変貌の歴史をいまも重ねている最中の稲田堤なのである。

 

 稲田堤駅前の踏切は、「観光道踏切」と名付けられている。何の観光かと言えば、もちろん明治の昔に植えられた多摩川の土手、稲田堤の桜である。

 

 観光道踏切から商店街を背にして北へ進んでゆく。住宅地にしては幅広の道路は、駅前からの観光ルートだった名残だろうか。少しずつ静かになってゆく道を10分ほど歩くと、多摩川の土手が見えてくる。