土手に登れば桜の木が…おや?
土手に登れば、すぐ脇には京王線の鉄橋が見える。川の向こうは東京都調布市だ。
そして土手にはいまも桜の木々が……と思ったが、桜どころか堤の上には木の1本も見当たらない。
堤の上の舗装された道路の上を、脇道とばかりにトラックが盛んに走っているばかりである。
稲田堤の桜が名所として賑わったのは、大正時代から昭和の初め頃のことだ。最初は250本ほどだった桜は徐々に増え、最盛期には2000本を越えていたという。
花見の季節には川べりに茶店がずらりと並んで大盛況。昭和初期に開業した南武線も、稲田堤の桜人気に拍車をかけた立役者だったに違いない。茶店の中には半ば常設の店舗となり、戦後も居酒屋などとして営業を続けた店も少なくなかったようだ。
しかし、多摩川の土手の桜を楽しめた時代は短く終わってしまう。戦争の時代を間に挟んで戦後になると、護岸工事や道路整備が進められ、土手の桜はその多くが伐採されるなどして姿を消してしまったのである。
すっかり乗り換え駅として定着
桜がなくなってからも、土手の茶店、居酒屋はいくつか残っていたという。ただそれも稼ぎどころを失ってしまえば長続きは難しい。
1973年からは、「たぬきや」という店がただ1軒だけ営業を続けていた。そのたぬきやも2018年に閉店。跡地はすっかり更地になっている。
いまや、稲田堤といって桜を思い浮かべる人は少ないだろう。すっかり南武線と京王相模原線の乗り換え駅として定着した。南武線は快速が、京王線は特急が、それぞれ停車する主要駅のひとつだ。
かくて乗り換え駅として存在感を増すその裏で、駅名の由来にもなった大正から昭和にかけての多摩川土手の風景は、失われたのである。
写真=鼠入昌史
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