響子 笑わせようとする母の笑いは、実は私は面白くないんですよ。年賀状は写真を撮っている時点で「面白いでしょ」という意識がある。それが出てくると白けてしまう。
桃子 わざと変な格好をして見せるわけだから、「笑い」が目的だよね。
響子 佐藤愛子のわがままから出てくる自然体のおかしさこそ面白いんだよ、と思います。
桃子 子どもじみた実験とか好きだったね。
響子 最寄駅の高いビルの最上階からこの家が見えるんですけど、こっちから物干し竿を振ったら見えるか、とかね。
桃子 私たちがビルの最上階に行って、祖母が家。足元がおぼつかないから、竿を振るのはお手伝いさん(笑)。20年くらい前だったかな。
響子 母は散歩が好きで、よく2人で出かけたけど、通りすがりの男性の挙動を見て、「あれは愛人を待たせているから気がせいているに違いない」とか言うんです。
桃子 また勝手なことを。
響子 それで2人で笑って。『九十歳。何がめでたい』(16年刊)はそういうところが伝わって、売れたんじゃないですか。
桃子 普通の人はしないことばかり書いてある。
響子 正々堂々と身勝手だからね。
佐藤愛子は「卒母」できない人
佐藤さんは何度となく母親論を語っているが、その一つに三田佳子さんとの対談がある(「週刊朝日」20年2月28日号)。事件を起こした次男との関係を三田さんが、〈私の意識の中では、昨年「卒母」をしたんです〉と語った。卒母とはお母さんでなく「一対一の関係になって接する」ことだと三田さんが説明したところ、佐藤さんは〈観念的にはわかるけれど、(略)母親というものにはどうしても断ち切れない母親としての「情」というものがあるでしょうに〉と返している。
響子 母の本質ですね。正直に言うと、キモいって思います(笑)。
桃子 もうベッタリだから。
響子 母は私から卒業しない、私への依存が切れないってことですよね。施設に入るまでは、母が一階、私たち家族が二階に住んでいたんですが、私が一階に顔を出さない日があると「なんで来てくれないの?」と。
桃子 祖母は自己と他者の境界が曖昧な人で、だからわがままも言うんですが、特に母に対しては自分と同一視しているところがあります。一卵性親子という言葉があるけど、それとは少し違う。同じ存在なんです。
※響子さんと桃子さんのお話はその後、施設に入った佐藤さんの近況に向かい……。“母親としての佐藤愛子”が語られた記事全文は『週刊文春WOMAN 2026創刊7周年記念号』で読むことができます。



