響子 でもあの人、マグロだから、息をしているうちは書き続ける。編集者は頼んでくるし、勲章はもらうし、ベストセラーになるし。

桃子 映画にはなるし。

響子 そうすればまた依頼される。それで引き受けて、ヒステリーを起こしたり。

ADVERTISEMENT

書斎で机に向かう佐藤さん。

桃子 90代でボケかけてるのに書くわけだから大変だよ。頼まれたら書くという義務感もすごく強い人だしね。

響子 締め切りが過ぎると、待ってくれという電話を人にさせるんです。母が言い訳の台本を書いて、私が「血圧が200を超えて」とか言う。その隣に母が立ってるんです(笑)。

桃子 「38度の熱」とかも言ったね。

響子 平熱が35度台と低いのは本当なんですけど、自分の体を甘やかすところがある人で。「コロナじゃないかと思う、熱が36度8分もある」って(笑)。

桃子 「怖いもの知らず」ぶる割に、病気のことはすごく怖れているんです。

通りすがりの男性を見て、「あれは愛人を待たせている」とか言う

 祖母に厳しめの桃子さんだが、佐藤さんは孫のことをどう見ていたのか。一端を知れるのが、佐藤さんと北杜夫さんとの対談だ(「文藝春秋」00年12月号)。桃子さんは小学3年、北さんの孫は4年生と確認しあった後、北さんが言う。〈赤ん坊の頃、うちの孫の写真を送ったら、愛ちゃんは桃子ちゃんの写真を送ってくれたんだけど、「この前、病院で隣の男の子を殴りました」と書き添えてあった(笑)〉

響子 人と同じことをしない子でしたから、母にすれば面白かったのかもしれないですね。

桃子 子どもの時はおばあちゃん子だったんですよ。家族の中の「怒る奴ランキング」(笑)があったんですけど、ダントツ1位は母、次が父で、おばあちゃんは全然怒らなかった。

やんちゃな孫、桃子さんと70代の佐藤さん。

 桃子さんと佐藤さんといえば年賀状だ。92年、響子さんが1歳の桃子さんにパンダの着ぐるみを着せて実家を訪ねたのがきっかけで、93年の年賀状は「パンダの桃子と猫(の着ぐるみ)の愛子」の写真となった。以来、2人がコギャルになったり泥棒になったり。その20年の軌跡は『孫と私のケッタイな年賀状』(文春文庫)にまとめられている。