「戦後何年」というのは私の年齢と一致する…戦後何年かを思い出してもらえれば

吉永 それから、例えば政治家が何かを決定したときに、それに関してお互いの意見を言い合うと、あれは違うよねとか、憤慨するポイントが見事に一致する。

内田 日本の俳優さんは、政治に少しでも関わることは発言しないという人が少なくないけれど、小百合さんはきっちり意思表示する。特に反戦や反核に関しては、朗読やナレーションなど、どんどんボランティアで引き受けていますね。

吉永 例えば、朗読というのは神経を研ぎ澄ませなければできないでしょ。どこまで体力がもつかという、年齢とのせめぎ合いはあるけれど、続けていかなければならないと思っています。私は1945年、終戦の年の生まれなのね。だから「戦後何年」というのは私の年齢と一致する。かつては、女優の年齢を明記するものではないと言われていたけれど、私は終戦から何年経ったか、何年戦争をしないでいるかということは大事なことなので、年齢を言われても戦後何年かを思い出してもらえれば良いかと今は思っているんです。

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写真:橋本篤

岡田太郎が密かに書き留めていたもの

内田 私は遠く及ばないということはわかっているけれど、そんな小百合さんをお手本にしているところがたくさんあるの。小百合さんが「吉永小百合」を辞めないでいてくれて、本当によかった。それはひとえに、太郎さんと出会えたからだったのか。

吉永 私が押しかけて、太郎には悪いこともしてしまったけど。

内田 ええっ?

吉永 太郎はもともとディレクターだったのね。私と結婚したことでディレクターを辞めて経営の仕事にシフトしたの。どうしてかというと、ディレクターというのは制作の責任者として現場で指揮を執るから、出演する女優さんに気持ちを入れなければいい作品にできない。自分の妻が女優をしていると、なかなかそれをするのは難しい。だから辞めたと、晩年になって初めて聞いて、ああ、悪かったと思ってね。私が押しかけてしまったから、自分のほうが辞めるしかなかった。私のために犠牲にしたものが大きかった。

内田 私人の小百合さんを愛するだけでなく、吉永小百合という女優の才能も愛したから、犠牲だなんて思っていないでしょう。

吉永 私が知らずにいたことはほかにもあって、太郎は推理小説が大好きで、ハヤカワ・ミステリをすべて揃えていたのね。それをこの本はこういうところが面白いとか、こうすればテレビドラマにできるとか、1冊残らず詳細に記したノートが6~7冊、死後に見つかったのよ。事務所のスタッフに見せたら、みんな「これはすごい」って驚いた。太郎はもうそれが叶う立場でなくなっても、テレビドラマの制作を考えずにはいられなかったのね。

内田 勉強熱心だったのね。小百合さんも勉強家だけど。