吉永 会社の若い女性たちに「ジャパン太郎」と書いたものを胸に貼られて、そのまま国際便に搭乗したものだから、おもしろいおじさんだなとしか思わなかった。当時は現金決済だったから、プロデューサーの太郎が現金を持って、行く先々でドラクマとかフラン、ポンド、マルクに換算して支払わなければならないから、ずっと計算ばかりしていた。大変そうだなあ、大丈夫かなあと(笑)。その2年後に太郎がディレクターのドラマに出演したの。

内田 その辺りで、男性として見るようになった?

吉永 ぜんぜん。

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内田 ぜんぜんかー。

吉永 相談しやすい人だなとは思った。だから恋愛相談もしちゃった。

内田 小百合さんは別の人との恋に悩んでいたのかー。

『玄海つれづれ節』を撮影中、役柄にあわせてめずらしくショートカットにした40歳の頃。©文藝春秋

「もしかしたらこの人しかいないんじゃないかって思うようになった」

吉永 そうそう。この頃、『おふくろの味』というホームドラマにも出たのね。森光子さんやまだ悠木千帆さんだった希林さんも出演されていたのよ。

内田 えーっ、81年の『夢千代日記』が初めて母がご一緒した作品だと思っていた。

吉永 その10年前に共演していたの。私は25歳を過ぎても大人の芝居ができていなかったから、いつも森さんや千帆さんに叱られてね。千帆さんには「タバコぐらい吸えなくてはダメよ」って。

内田 あらっ。あんなにタバコ嫌いなくせに。

吉永 青春映画からも脱皮しなければならないと思っていたのに、芝居だけでなく私自身が幼かった。でも、事務所にはスタッフが20人ぐらいいて、そういう大きな事務所を構えてしまった以上は自信のない仕事もいやな仕事もやらなければいけない。悩んでいたら、声が出なくなってしまったの。

『玄海つれづれ節』を撮影中、役柄に合わせてめずらしくショートカットにした40歳の頃。©文藝春秋

内田 心因性なんですね。

吉永 声のスペシャリストの先生に診てもらったら、脳が声を出す命令をしなくなっているというのね。今の生活を変えない限りは戻りませんと言われた。

内田 大事件ですね。

吉永 それで、太郎が相談しやすかったから、相談したのね。そうしたら「休めないのなら、今できることを一生懸命にやれば、見てくれる人がきっとわかってくれる」と言われて、そうか、と肩の力が抜けた。同時に、もしかしたらこの人しかいないんじゃないかって思うようになった。

内田 では、小百合さんのほうが太郎さんに心を寄せていった?

吉永 全くそうよ。

内田 全くそうなんだ(笑)。