内田也哉子さんが様々なゲストとともにパートナーシップについて考える連載「Mirror River」。第5回のゲストは、母・樹木希林さんの親友であった吉永小百合さん。

 人気絶頂の20代で駆け落ち同然に結婚した15歳年上の夫・岡田太郎さんとの出会い、結婚生活。そして2024年に亡くなった後に見つかった夫のノートには――。

『週刊文春WOMAN 2026創刊7周年記念号』より、一部を抜粋の上ご紹介します。

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「小百合に歌を教えてやらなきゃいけないから」病室に響いた歌声

写真:橋本篤

 吉永さんが周囲の反対を振り切って電撃的に結婚したのは1973年8月。世のサユリストたちにショックを与えた。28歳の国民的女優の結婚相手となったフジテレビのディレクター岡田太郎さんは15歳年上の43歳で、離婚歴があったことがさらにショックを大きくした。岡田さんはその後、共同テレビの社長、会長を務め、昨年9月3日、胆のうがんのため逝去。享年94。

吉永 私、映画でフルコーラス歌うシーンがあったでしょ。

内田 “You Raise Me Up”ね。あなたが押し上げてくれたから私は乗り越えることができたという歌詞、これも胸に迫りました。田部井夫妻にもピッタリだけれど、小百合さんと太郎さんのことでもあるように思えた。私が知っている太郎さんは、いつもニコニコと小百合さんを見守っているように見えたから。

吉永 この歌の練習をしなければいけないんだって、太郎に話してあったのね。そうしたら亡くなる前々日、病室で急に歌い出したんですって。廊下にまで響き渡るような大きな声で。私はロケ中でその場にはいなかったんだけど、付き添っていた人が「どうしたの?」と聞いたら、「小百合に歌を教えてやらなきゃいけないから」と言ったって。

内田 ああ……泣きそうです。

吉永 曲は『琵琶湖周航の歌』や『寒い朝』など昔の歌ばかりだったけれど、意識が混濁していながら、ああ、歌を練習させなければという思いでいてくれたんだなと思ってね。

のちのノーベル賞作家・川端康成もサユリスト。『伊豆の踊子』映画化の際にはロケ地訪問も。©文藝春秋

「ジャパン太郎」と書いたものを胸に貼られておもしろいおじさんだなとしか思わなかった

内田 あの太郎さんが小百合さんに歌を教えようとするなんて。そもそも二人はお仕事を通して出会ったんですか。

吉永 そう、私が19歳のときにね。

内田 あ、そんなに早くに出会った?

吉永 羽田空港で初めて会ったの。彼は昼メロの演出をしていたんだけど、丹羽文雄さん原作のものすごいものを作ってしまって。

内田 ものすごいもの(笑)。

吉永 スポンサーから昼間に放送するのにふさわしくないと言われるようなものね。それで問題になった。たまたま私がドキュメンタリー番組でヨーロッパ各国を回って若者を取材することになって、じゃあ暇になった岡田をプロデューサーとして同行させようということになったわけです。

内田 第一印象は素敵な男性だなと?

吉永 いえいえ。「ジャパン太郎」だったから。

内田 何ですか、それ?