今年3月になって病院の治療策も尽き、自宅に戻ってきた。窓際のベッドのそばに妻を呼んで、彼は細い声で言った。
「お前は1人寂しく暮らすことないよ。好きに生きろ」
階下の駐車場に最後の旅を共にしたグレーのプリウスが見えた。
「マンション売って、違うところに行ってもいいぞ」
彼女は顔を近づけて、応えた。
「このまま居てもいいか」
夫の顔はなんだか、ほっとしたように見えた。
坂本に対する彼の透徹した評価が巨人を救った
私が山下の自宅を訪れたのは、最後の旅行を終えて再び入院をするころだった。彼は私の3つ年下で、巨人の球団代表時代にスカウト部長として6年間、支えてもらった恩義があった。
ベッドの横で、「夏に『記者は天国に行けない』を刊行できそうだよ。君に助けられたことも書いたから、ぜひ読んでくれよ」。私が語りかけると、「代表のお願い事も、今度ばかりは難しいかもしれません」と笑いを浮かべた。彼にはずっと無理を押し付けてきたのだ。
スカウトから球団代表への報告システムの導入、育成選手制度の率先活用、大艦巨砲路線からの転換、原辰徳監督の意向に反して坂本勇人や澤村拓一を獲得したこと(その一端は本書に記した)など――。どれも約10人のスカウトを束ねる山下が反対すれば実現できなかったのだ。
特に、坂本に対する彼の透徹した評価は巨人を救うものだった。山下は別な選手を推す原監督に対し、担当スカウトの大森剛を支持して強く坂本を推した。その根拠は春の選抜高校野球の初回の打席だった。
坂本は岡山・関西高校のダース・ローマシュ匡の初球を狙い打って打点を挙げた。直球を待っていたのにカーブを投げられ、体が前に泳ごうとするところを、一瞬踏み止まって強振した。山下はそこに非凡な才能を感じ、結果を恐れない積極性にショックを感じた、と言った。
