忘れられない第2回育成ドラフトで見せた決断
山下自身は広陵高校で一塁を守り7番を打ったが、進学した近畿大学野球部ではレギュラーを取れなかった。坂本の打撃に、山下は自分がつかめなかったものをはっきりと見たのである。
彼は近大のコーチ補佐をしていたところを、巨人のスカウト部長である伊藤菊雄に見出されて巨人スカウトに転じている。厳しいスカウトの世界で、プロではないアマの、しかも大学でレギュラーではなかった人間の低く真摯な目線を持ち続けたのだと私は思う。
2006年の第2回育成ドラフトで見せた決断も忘れられない。この年の巨人は4年連続で優勝を逃し、どん底も底なしとたたかれていた。育成の試みをさらに進めてダメだったら責任を取ろうと私は思っていた。
山下と計らって、私はこの育成ドラフトで7人を一挙に育成選手として指名した。他球団は4球団合わせて5人を指名しただけだった。他球団の嘲笑が聞こえるようだったが、山下は滑舌の悪い低い声で言った。
「笑わせておけばいいです。誰かきっと出てきますよ」
その言葉通り、このドラフトで獲った松本哲也は2009年の巨人日本一の原動力となり、育成枠出身選手初となるゴールデングラブ賞と新人王を受賞している。付け加えれば巨人のドラフト選手は2008年から4年連続でセ・リーグ新人王(うち2人は育成出身)を獲得した。私と山下のひそやかな自慢である。
山下は、私が球団経営者から記者に戻る道でめぐり会った。記者道とは無縁の人のようでいながら、どこかで重なっているような気がする。無名のまま消えていく人間の矜持を静かに教えてくれるからだろう。
(きよたけひでとし/1950年宮崎県生まれ。75年に読売新聞社入社。社会部で警視庁、国税庁を担当し、2001年より中部本社社会部長。東京本社編集委員などを経て、04年8月より読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され係争に。その後、作家に転身し『サラリーマン球団社長』『後列のひと』『アトムの心臓』など著書多数。)

