通行止め解除も、インター付近には大量の車列が…

 長距離ドライバーたちが2日間にわたって足止めを喰らうなか、27日の朝になってようやく、名神高速の通行止めが全面的に解除される。

 しかし、すでにインターチェンジ付近には開通を待つトラックが大量に列をなしていた。通行止め解除とともに、道路のキャパシティをはるかに超える車列が本線へとなだれ込んでいったのである。

 結果、名神高速は瞬く間に飽和状態に陥っていく。昼頃には上り線で栗東IC(滋賀県)から吹田IC(大阪府)まで60kmの渋滞。下り線では岐阜羽島ICから音羽蒲郡IC(愛知県)まで77kmと、この時点で現在では考えられない規模の渋滞が発生していた。

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 午後に入ってからも混雑は悪化する一方で、夕方頃にはとうとう彦根IC(滋賀県)から豊川IC(愛知県)まで「150km超」という記録的な規模にまで膨れ上がる。

 さらに日付が変わってからも、滋賀から愛知にかけて150km規模の渋滞が続く。28日の午前中には春日井IC(愛知県)付近で65kmと、徐々に縮小の兆しが見えはじめるが、結局完全には解消されることのないまま年末の帰省ラッシュを迎える格好となった。

写真はイメージ ©AFLO

「大阪から四日市まで15時間」ドライバーたちの絶望の声

 現代ならば、GoogleマップやSNSなどで現地の状況を知り、迂回路を調べたり出発を控えたりといった判断もできる。だが、当時はスマホもVICS(道路交通情報通信システム)もなく、車内での主な情報源はラジオという時代である。カーステレオから流れてくる断片的な情報は、かえって目の前の絶望を助長したかもしれない。

 迂回路となるはずの一般道も、やはり混迷をきわめた。国道1号は四日市から名古屋にかけて約100km、国道23号でも約70kmにわたって渋滞が発生。当時の新聞記事には「大阪から四日市まで15時間かけてようやくたどり着いた」というトラック運転手のコメントや、「普段は10分の道が5時間経っても着かない」という一般ドライバーの悲鳴のような声が残されている。

 さらに当時の紙面には、トイレを求めて雪道をさまよう人々や、路側帯で仮眠をとるトラックの列など、寒空の下で過酷な状況を耐え忍ぶ人々の姿が克明に描写されている。

 物流の停滞は市民生活も直撃した。名古屋の中央卸売市場では野菜の入荷量が半減し、コンビニからは弁当やおにぎりが消えた。配送の遅れにより、店舗に到着した食品がすでに賞味期限切れを迎え、そのまま廃棄される様も報告されている。

 自動車メーカーは部品が届かず操業停止に追い込まれ、郵便局では配達の遅れを取り戻すため、背広組が夜通し郵便物の仕分け作業に追われた。これでも報道の対象となったのはごく一部であることを考えると、さまざまな業務への影響や、個々人の生活に対するダメージは想像を絶するものだっただろう。