2人のカリスマ

 ソビエト連邦が崩壊し、かつて隆盛を誇ったイタリアやフランスの共産党も消滅したのに、なぜ日本共産党は今も存在しているのか。そんな声も聞きます。

 現在、国会議員23人、都道府県会議員は140人、市区町村議会の議員は2435人を擁しています(22年3月時点)。最盛期の1999年時点で4400人にも上っていましたが、平成の大合併で自治体数が減り、地方議員数も減りました。それでも自民党、公明党に次ぐ、第三党の規模に踏みとどまっています。

 いまも一定の支持を得ている理由を解明するには、戦後の2人の指導者、宮本顕治(1908~2007)と不破哲三の実像を知らなければなりません。

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 私は高卒で旧三和銀行に入ってから、「資本主義から社会主義へ、社会発展の主役は君たちだ」という小冊子の惹句に魅せられて日本民主青年同盟に加入し、その後入党しました。選挙の時期になれば、大阪の梅田駅前で必死になってビラを配りました。議員秘書を経て95年に参院比例区で初当選以来、政策委員長、書記局長代行を務め、思いがけず私自身も幹部の1人になりました。

 五十数年前、入党した頃の「党の顔」といえば、宮本顕治です。

宮本顕治

 宮本さんは戦時中に12年間も刑務所に入れられながら完全黙秘を貫いた人物です。なんせ党員というだけで特高警察に拷問され、殺されかねない治安維持法の下、スパイ査問事件によって逮捕されても完黙を貫いた。徳田球一とか袴田里見とか、戦後返り咲いた幹部たちもしゃべっちゃっているのに、宮本さんだけは12年間、ぶちこまれても非転向を貫き通した。これが宮本さんのカリスマ性を作り上げたと思います。

 もう1人の党の顔は、不破哲三。69年の衆院選に東京6区から出馬して初当選、翌年、40歳で書記局長に抜擢された時は、「共産党のプリンス」と期待を集めました。82年に委員長、00年には宮本の後を継いで議長に就いています。

卓球を楽しむ不破(右)と宮本

 とにかく頭の回転が早く、国会で対峙した佐藤栄作首相をして、「自民党にもこんな若い力がほしい」と言わしめたほど。その見立てが正しかったかどうかはさておき、理論派のカリスマでした。

 党本部内で宮本さんが指導する時代に宮本さんの悪口を言う者は1人もいなかったし、不破さんの時代に不破さんの悪口を言う者も1人もいなかった。それだけ2人にはカリスマ性がありました。

志位和夫

 後を継いだ志位和夫委員長には、気の毒ですがそのようなカリスマ性はありません。幹部の中にも陰では志位さんを軽んじ、悪口を言う人がいたのは事実です。昨年の総選挙後、田村智子参院議員がツイッターで野党共闘について反省コメントをツイートしたことが話題になりましたが、これは志位さんへの批判になりかねない内容で、宮本、不破時代ならあり得ないことでした(ツイートはその後、削除された)。

※本記事の全文(約8000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(筆坂秀世「宮本顕治と不破哲三」)。全文では、以下の内容をお読みいただけます。
・理論と財政基盤を固める
・野坂参三へのうらみ
・ガツーンとやられた志位さん

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