都内マンションで十年間、穏やかに暮らしていたタクシー運転手の青吾とデパ地下勤務の多実。ある日一泊の予定で旅行に出かけた多実が、三日経っても戻らない。心配して多実の勤め先の和菓子店に行っては不審がられ、意気消沈する青吾のもとに、「多実が見知らぬ男性とともに長崎県の五島列島で海難事故に遭い、現在も行方がわからない」という連絡が入る。

 恋人は、自分を裏切っていたのだろうか? なぜそんな遠い島に?

「長編前作『光のとこにいてね』では、若い女の子たちのキラキラした感じを存分に描いたので、今回は、人生の折り返し地点を既に過ぎて、これからクライマックスがくることはなさそうな人を主人公に据える、と決めていました。青吾は四十歳で、臆病で慎重で湿っぽい性格。私に似ていると思います。そんな彼が警察から衝撃の知らせを受けた後、どうすればいいのか。

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 とりかえしのつかない所から始まる物語を書きたかったんです」

一穂ミチ『アフター・ユー』(文藝春秋)

 多実と共に行方不明になった男性、波留彦(はるひこ)の年若い妻・沙都子の決断力と行動力にひっぱられる形で、青吾は五島列島の遠鹿島(おじかじま)へ向かう。残された二人は、恋人の、伴侶の、隠された過去を見つけることができるのか。

「物語のモデルとなった島には、二泊三日で取材に行きました。役場のそばに、立派な電話ボックスがあったんです。実はこの作品には何か少しファンタジー要素を加えたい、と思っていたんですが、その電話ボックスを見たときに、これだ! と思いました」

 公衆電話と、青吾が大切にしていたテレホンカードが、愛しい人の過去の欠片を集めようとする二人にとって頼みの綱となる。電話ボックスのシーンは、青吾の祈るような切ない思いがあふれて美しく印象的だ。

 島の人々に話を聞いてまわり、古い文献を漁り、廃墟のような建物を歩き回るうち次第にあらわれてくる、思いもかけなかった事実。

 やがて物語は、不思議なカタルシスへと向かう。

「青吾は旅から帰ってきて涙を流しますが、そこには何か前向きな結果があるわけではない。ただ『不在』がある。旅を経てそこに行きついた、ということです。わかりやすいお話より、グレーな物語を私はずっと書きたいと思っているのですが、この『アフター・ユー』は年を重ねた読者の心に沁みるものがあればいいな、と思いながら執筆していました」

 耐え難い喪失に直面した時、悲しみをちゃんと悲しめるようになるまでの「心の旅路」の物語なのかもしれない。

一穂ミチ(いちほ・みち)

1978年生まれ。2024年『光のとこにいてね』で島清恋愛文学賞、『ツミデミック』で直木賞受賞。著書に『スモールワールズ』『恋とか愛とかやさしさなら』など。

(初出:「オール讀物」2026年1・2月号

アフター・ユー

一穂 ミチ

文藝春秋

2025年11月21日 発売

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