史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)1月に被害者のX子さんは命を落とした。事件から15年後、「報道ステーション」ディレクターだった山﨑裕侍氏(現・北海道放送報道部デスク)は、集団強姦に関与し少年院送致となった加害少年Bの母親に匿名でインタビューを実施した。

足立区東部に位置する綾瀬 著者撮影

「寂しがり屋で甘えん坊」な少年の素顔と波乱の家庭環境

 浅草のホテルの和室で実現した匿名インタビュー。山﨑氏はカメラを母親の背後、高い位置に固定し、真俯瞰のアングルで撮影することを決めた。これは、特定の感情に偏らない客観的な視点を提供し、視聴者に中立的な判断を委ねるための工夫だった。

「いまだに私は、どうして、私も、納得いかなく、今、口にすることはないですけど、いつも、言葉だとか、ま、コンクリという言葉を聞いただけでも寒気がするほどつらい思いです。いまだに、ドラム缶という言葉も嫌ですし……」と、Bの母親は途切れ途切れの言葉で胸の内を語った。

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「寂しがり屋で、甘えん坊で、だけど、それを出せない性格だったんだと思います」と母親が語るBは、1971年5月11日に生まれた。足立区の都営団地で慎ましく暮らしていた一家だったが、両親の仲はBが生まれて1年ほどで亀裂が入る。父親の浮気が発覚し、Bが小学校入学前に父親は家を出て行った。

 その後、母親は昼は建設会社の事務員、夜はスナックのホステスとして日夜働いた。「子どもと一緒に食卓を囲んだ記憶はほとんどないです」と母親は当時を振り返る。Bが愛情を求めて甘えようとすると、母親は厳しく突き放した。小学校では「思うようにいかなくなると暴力を振るう」子どもになっていった。

 父親と2カ月間暮らした時期もあったが、「お前がここに残るなら、もう縁は切るぞ」と父親に言われ、強烈な挫折感を抱えたまま母親のもとに戻った。その後、Bはエリート校と呼ばれる中学校に進学し、陸上で頑張るも、2年生の冬にスキーで足首を複雑骨折してから人生が暗転する。

北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って

「やはり、本人としては、父親というのが大きかったのだと思います」と母親は語った。「相撲大会に幼稚園代表で出たときに、『これに勝ったらお父さん帰ってくるかな』って言ったのが、私としてはいちばん……。要するに強ければ何とかなるんじゃないのかなという考えに、走っていってしまったんじゃないかなと思います」

 高校中退後、家庭内暴力を経て家に寄り付かなくなったBは、後に事件現場となるCの家で過ごすようになる。そこで主犯格のAと出会い、強姦や窃盗を繰り返し、ついに1988年11月25日、X子さんを監禁する事件が始まった。一審判決では「屈折した心理がAへの無批判な追従を促した」と指摘されている。

「確かにお父さんがいなくてもお母さんがいなくても、よく育っている子はいると思います。でも、あの子には、父親が必要だったんじゃないかなと思います」

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