さて、重要なのはこれらの行為は「違法」と各紙が断じていない点だ。あくまで「どういう仕組みで公金が支出され、どう見えるのか」を示しているに過ぎない。だからこそ、聞こえてくる維新の説明がある。違法ではない、制度の枠内だ、ルール上は問題ない、などという説明が。

改革よりも抜け道に詳しい維新

 そして今回の国保逃れである。細部こそ違え、発想の根はよく似ている。制度の抜け穴を把握し、形式上は合法の範囲で動く。そして最後にこう結論づける。「違法性はない」。

 結果的に、維新は制度の隙間を誰よりも早く、巧みに使ってきた姿を繰り返し見せている。それは「合理的」「コスパ」「スピード感」のようなオモテの訴えにもつながっていないだろうか。違法でなければやってもいいという考え方にも思える。

ADVERTISEMENT

 だが政治においては合法かどうかだけでなく、説明責任や倫理が常に問われる。とりわけ「改革」を掲げてきた政党であればなおさらだ。ところが改革政党を名乗りながら、改革よりも抜け道に詳しい。既得権益を批判しながら、制度運用では誰よりも柔軟。

 そんな維新がよりによって昨夏の参院選では、支払い能力に応じた応能負担の徹底を図る「社会保険料を下げる改革」を掲げていた。連立政権を組む自民党と具体的な協議を始めている。矛盾も甚だしい。その結果、夕刊紙に「チンピラ」と形容されたのだとしたらそれは笑いごとでは済まない。

 ではあなたも考えてみてほしい。もし誰かが揉み手をしながら近づいてきて「得になる話」を持ち掛けてきたら? そして、

「維新の議員さんもやっていますから」

 と言われたら?

 その感覚の是非を考えることこそが、いまの政治を見る上で最も重要で、そして最も健全な部分ではないだろうか。

次のページ 写真ページはこちら