「産業道路」と「参道」の役割を兼ねていた
例えば、長野県の和田峠付近で産出される黒曜石は、この塩の道を使って全国各地に運ばれていた。これほど古い歴史を持つ道ではあるが、昔の移動手段といえば徒歩か荷馬が基本で、立派な道路も整備されていない。
そんな中、「敵に塩を送る」という言葉が生まれるほど、内陸の人々は海沿いの町で採れる塩や海産物を必要としていた。そのため、長野県を中心として全国各地の内陸部に「塩の道」という名前の産業道路が造られたのである。その1つが浜松と、長野県の飯田、諏訪湖周辺を繋ぐ道だった。
また、塩の道の途中には、東海地方最大の霊山・秋葉山があり、頂上には秋葉山本宮秋葉神社という巨大な神社と、秋葉寺というお寺が建っている。
祀っているのは火之迦具土大神で、簡単に言うと火の神様だ。炊事やお風呂などで火を使うだけでなく、木造の建物が多いことから火事を恐れていた日本人は、火の神様を古くから深く信仰してきた。
この秋葉信仰の総本宮である秋葉神社への参道(秋葉街道)が、浜松と飯田、そして諏訪湖方面へと延びており、そのルートは塩の道と完全に重複していた。
つまり塩の道は、産業道路と参道の役割を兼ねた、経済・宗教・文化を支える非常に大事な道路だったのである。
しかし、明治時代に文明開化が起こって鉄道が建設されると、豊橋・浜松と飯田など長野県各地との移動手段は、塩の道と併走するように敷かれた鉄道路線・飯田線に取って代わられた。
そして大正・昭和になると、自動車も普及して道路が次々と整備されていく。すると物や人の移動手段が、塩の道から鉄道や車へ完全に移ってしまったのである。

