まず次の言葉に目をとめた。「久米さんは自民党が目の敵にしていたが」との問いに対して、
《“司会者”にもかかわらず“ジャーナリズム”をやっていた証拠です。》(筑紫哲也)
ああ、つまり「意地悪とジャーナリズム」のことを言っていないか。
与党の政治家が放送局の電波停止を平気で口に…
ツッコむべきポイントを嗅ぎ取り、そして実際に臆せず声に出す。むしろ記者でちゃんとできる人がどれぐらいいるのか。ライバルとも言われた筑紫哲也は気づいていたのだろう。
この元記事は「2004年3月24日」のものだ。2004年に終了したテレビ朝日「ニュースステーション」の意義を振り返った記事だった。筑紫以外にもインタビューが載っていて、ギョッとするのは「自民党衆院議員 八代英太氏」の言葉だ。久米宏は公平、公正という原点を逸脱していたとし、
《自民党幹部のテレ朝出演拒否問題も、本当は(電波使用の)免許を取り上げたいほどだった。報道によって、政権が転覆し、人々の暮らしが台無しになる可能性もある。》
与党の政治家が放送局の電波停止を平気で口にしていた。こういうのを読むと、あの頃は「普通に」圧力があったことを思い出す。政治家が久米を目の敵にしているという記事を当時たくさん読んだ。現在は圧力うんぬんの前に、メディア側が勝手に萎縮している感じもする。政治側にとって、これほど都合のいい時代もない。
久米宏の訃報を受けて「久米さんのようなことはもうできない」「特別な人だった」という追悼ムードがメディアにある。しかし勝手に久米宏を過去のものにしているのは自分たちではないか?
無難な追悼ニュースを見て、本人はあの調子で「予定調和でつまんないねぇ」とクックックと笑っているかもしれない。
