久米宏とは何か。「プロの意地悪」という定義はどうだろう?
プロと言うにはわけがある。誰だって10人いれば10人に愛されたいのが人情だからだ。なので意地悪を徹底するのは大変なこと。
本人の著書には、
「人気を保つためには、6割の人に嫌われ、4割の人から好感をもたれるのがバランス的にはいちばんだと僕は考えている」
とある。
「10人いたら2人に伝わればいい」という久米宏の言葉
この手のことは他にも言っていて、元テレビ朝日アナウンサーの富川悠太氏は久米の助言として「100人いるとしたら51人に嫌われなさい」と言われたと証言している。
他にも、「10人いたら2人に伝わればいい」という久米宏の言葉を雑誌で読んだことがある。もしかしたら「3人」だったかもしれない。
いずれにしても、数の比率は違えど、久米宏は大多数に嫌われてナンボと思っていたわけだ。だから「プロの意地悪」であり、歯に衣着せぬ、ああいう芸風を徹底できたのだろう。嫌われることを計算に入れるのはなかなかできない。意地悪を徹底するのは難しい。
久米宏全盛の時代、テレビやラジオの魅力は生放送だった。何が起きるかわからない魅力があり、そういう意味でも選挙特番は見逃せなかった。混沌とした中で非日常の現場をさばいていく久米宏。それどころか率先してかき回す久米宏。生放送の魅力がそこにあった。
さてここで思う。久米宏は視聴者のことを第一に考えていたと言われる(自分でも言っている)。
だが視聴者とは何か? 視聴者は善人の集まりなのか?
実は本当に意地悪なのは視聴者であり、久米宏は視聴者の欲求を代理で晴らしていただけなのかもしれない。つまり「意地悪」に徹することは少数派になる覚悟ではなく、多くの視聴者からウケたいという野心もあったからではないか。
誰もがやらない切り口を武器にする突破口に気づいたのだ。そこに気づく人は他にもいたかもしれないが、覚悟して徹底できる人はいなかった。
