トイレのドアをノックしても反応がない

 亡くなる前夜、大崎は愛する者たちに囲まれ、幸せな時間を過ごした。京都の大学から久しぶりに帰省した一人息子の唯、そしてフランスから会いに来てくれた親しい友人の娘かづ。痩せ細った体に残された命を燃え上がらせ、喜びの頂点に立ったかのようだった。

 翌朝、和が目を覚ますと、いつもリビングのソファで寝ている大崎の姿がなかった。和が開くと、大崎は座ったまま俯くようにしていた。体を揺すっても反応はなく、呼吸器切開した喉元に手を当てると、まだほんのりと体温を感じたという。

 救急隊員が到着し、すでに指先の硬直が始まっていることを告げた。「もう亡くなられています」。それは、まるで『あしたのジョー』のラストシーンのような姿だったと、和は語る。

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高橋和さん。すでに現役を引退しているが、女流三段の段位を持つ ©野澤亘伸

「あのときに救急車を呼んでいたら、病院のベッドで亡くなることになったのかなぁ……。最期は家がいいって言っていたから、上手な幕引きだったと思います。そりゃ見つけた方はいい気はしませんよ。私としては最期に映る景色の中にいたかったと思いますが、それも配慮だったのかもしれません」

 作家として「思い通りのシナリオだった」と評される見事な幕引き。その裏には、家族への深い愛情と、自らの死を最後まで書き切ろうとした作家の矜持があった。

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