2025年夏、バックギャモン世界大会。

「彼女は何者なんだ?」

 海外の選手たちの中にざわめきが走る。初参加で全く実績のない日本人女性が勝ち続けていた。同行していた日本の選手が彼らにこう説明した。

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「彼女はジャパニーズ・チェス、shogiのプロプレイヤーなんです」

 その言葉に誰もが頷いた。

「そうか、持っている雰囲気が違うものね」

 昨夏にモナコで行われた世界大会で、和は初参加にもかかわらず快進撃を続けた。各国から集まった強豪たちが、日本から来た“勝負師”の姿に目を奪われた。引退して20年が過ぎても、女流名人戦A級在籍7期、女性として唯一人の詰将棋・看寿賞受賞の力は生きていた。

初参加のモンテカルロオープン優勝のメダルを胸に

 大崎の一周忌を前に和に取材を申し込むと、承諾とともに次のように書かれていた。

「実は明日からフランスに行ってまいります。簡単にいうと『国外逃亡』です。命日を日本で過ごすのは耐えられないと思い、思い出の地ニース、モナコでその日を迎えることにしました」

 モナコ行きを決めたのは、前年の秋だった。バックギャモンの世界大会が開催されるモナコとフランスのニースは接しており、2人で何度も訪れた思い出の地である。大会の日程はすでに決定していて、決勝が行われるのは8月3日。その日は大崎の命日にあたる。

「会場の真向かいに海が広がっていて、その海を眺めてから試合をしていました。なんか大崎と話しているような感覚でした」

九十九里にて 「海は大崎を思い出します」 ©野澤亘伸

出会い

 大崎とは『将棋世界』誌の仕事で初めて会った。編集長だった大崎が、女流棋士が国内各地を回り、最後にヨーロッパ4カ国にも行って指導対局をするプランを立てた。将棋雑誌としては常識外の大型企画で、枠にハマらない大崎らしい発想だった。そして、その指導対局役の依頼が、当時19歳の和に来た。滅多にない魅力的な仕事である。しかし、和は気が進まなかった。

 14歳でプロデビューした。時代が昭和から平成に変わって間もない頃だった。女流棋士番号は13。まだ出場できる棋戦の数は少なく、対局料も安かった。イベント出演や解説の聞き手役の仕事が、彼女たちにとって収入の多くを占めた。若くて華のある和には仕事が集まったが、当時はまだ公式戦でも結果が出せず、人気が先行することに戸惑いがあった。