「大崎さんに書いてもらえたら、ええんやけどね」
森信雄七段からの電話を終えた大崎善生は、隣にいた後の妻である高橋和にこの言葉をそのまま伝えた。2人のやり取りを聞いていた和は、この瞬間、大崎にスイッチが入ったのがわかったそうだ。すでに着想を得たような遠い目をしていた。
人生のターニングポイント
1998年8月8日、森の弟子である村山聖九段が亡くなった。29歳だった。両親はその生涯を記録したノンフィクションの出版を希望する。このときの大崎はまだ作家としての活動を何も始めておらず、書いているものといえば編集後記くらいだった。それでも森は愛弟子の生き様を描けるのは大崎しかいないと思った。
その後、村山の両親から大崎の元へ大量の資料が届けられた。子どもの頃からの年表や本人が大切にしていたもの、亡くなる前に家に残されていたものなど、すべての記録がそこにあった。
大崎が描いたのは、壮絶な闘病生活の中で盤と向き合う天才棋士の姿だけでなく、一人の若者の青春と苦悩だった。そして村山を内弟子時代から生涯にわたって支え続けた森との師弟愛の物語でもあった。森は完成した作品を読み、自分の存在が大きく書かれていることに驚いたという。
「僕は村山くんの師匠と呼ばれるのが嫌でね。彼が森の弟子と呼ばれるならわかるけど(笑)」
デビュー作『聖の青春』がベストセラーになった翌2001年、大崎は将棋連盟を退職する。もともと職員という仕事が気質にあっておらず自然な流れだった。
「ただ、作家になったのは僕としてはあんまり好まなかったですね……。急に人が変わって偉そうになって。編集者といると、僕のことを貶めるようなことを言う。意識しすぎて、少し無理していたような気がするなぁ。だからちょっと距離を置く期間があったんです。作家を辞めたら、また仲良くしようと思ってね。人伝に『森さんが避けているので、大崎さんが寂しがっていますよ』と聞いたこともありました」
大崎は連盟にいた頃から周囲と意見がぶつかることが多かったようだ。言葉もきついため、人によっては敵視するようなところもあったかもしれない。ただ、一度関わった人のことは最後まで見届ける情の厚さがあった。



