大崎善生は『将棋世界』誌の編集長をしていた2000年に『聖の青春』で作家デビューした。夭折した天才棋士・村山聖の生涯を追ったノンフィクションは、多くの読者の心を掴みベストセラーとなる。翌年に将棋連盟を退職し、本格的な創作活動に入った。44歳のときだった。
2003年に19歳下の女流棋士・高橋和と結婚し周囲を驚かせた。この5年前から2人の交際は続いていたが、周囲に知る者はほとんどいなかった。和は独身時代から大崎の奔放極まりない生活を目にしていた。
「とにかく朝はプシュッとビールの缶をあけることから始まり、しばらくすると安酒の『大五郎』を水割りにして延々と飲んでいました。リビングでも、自室でも。大崎の部屋は結婚当初から私は掃除しないと伝えていたので、ペットボトルがゴロゴロして足の踏み場がなくなると、ようやくゴミ袋を持って片付けていました」
50歳頃からは、昼も夜も飲みながら原稿を書いていたという。息抜きは自転車で西荻窪の居酒屋に出かけることだった。
「“野垂れ死んだように寝る”のが好きで、むしろパジャマを着てベッドに入ることを忌み嫌っていました。自室にある布団かソファに、眠くなったらゴロンというスタイル。
スーツを着たまま万年床で寝て、翌日そのまま連盟に出かけていく様を見たときにはある種のカルチャーショックを受けました。私の父では到底考えられないことでしたので、こんな風にしても人は生きていけるんだと感心しました」
思い立つと、相談もなく海外へ出かけて行った。帰るのが面倒でエアチケットを捨ててしまったので、和がパリまで迎えに行ったこともある。子どもが生まれてからも、1ヶ月半以上帰ってこないことがあった。
「大崎は自由にしているという概念さえもなかったと思います。ある意味、“真の自由人”ですね。それを私がたまたま理解していたので、一緒にいられたのではないでしょうか」
“真の自由人”が出来上がるまで
一体、どんな環境で育てばそんな人間が出来上がるのだろうか。大崎の奔放さとは真逆に、実家は代々医師の家系で、親族の多くも医療関係者である。先祖は仙台藩の御典医を務めていたという。
「子どもの頃は愛されキャラで、一度も叱られたことがなかったといいます。お母様は天使のような方で、どんなことでも『まあ、素敵』と受け入れる。何不自由なく育てられたのと、本人に資質があったのでしょう。大学進学時にお父様から医学部を勧められ受験しましたが不合格となり、翌年に文学部の受験を許してもらいました。本人は小学生の頃から将来は小説家になりたいと言っていたそうです」



