「医師から説明を受けたあの日、大崎の身体が絶望的であることがわかった。襲ってきたのは、想像もしていなかった感情でした。悲しみを超えたもの……。彼の死に対する私自身の覚悟を問われた気がした」

 今回の記事に『渚にて』を引用させていただく許可を和に求めた。また大崎の作家としての後年の態度に、和が距離をとっていたことにも触れると伝えた。それに対する彼女の返答は明快だった。

「どんどんやっちまってください。そんな輝かしいものじゃないですから」

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妻の高橋和女流三段 ©野澤亘伸

声なき祝辞

 手術後、大崎はしばらく歩く体力もなかった。家で将棋の棋譜中継を観て過ごすことが多く、和が帰宅すると「面白いよ」と携帯の画面を向けてきた。ほとんどが女流棋士の西山朋佳の対局だった。「腕をブンブン振り回していく。誰も真似できない将棋だ」そう言っていた。

 毎日体重計に乗っては0.5キロ増えているとガッツポーズを見せた。半年ほど過ぎると体力も回復を見せて、年が明けた春頃から一人で居酒屋にも行くようになった。タブレットで注文できるので、声が出せなくても大丈夫と言っていた。

「病後はよく手を合わせて感謝するようになりました。私に対してだけでなく、あらゆる人に。人は支えられて生きているという原点に戻った様子でした。私は大崎の口の動きで伝えたいことがわかりましたから、以前と変わることなくコミュニケーションが取れていました」

 病気のことは大崎の意思で一切公表しなかった。

「自ら言うことではないと思ったのか、または淡々と生きていただけなのか。入院当日からもう人と会うこともありませんでしたし、コロナ禍で面会もできませんでした」

 2023年11月7日に藤井聡太八冠(当時)の王位就位式が日比谷で行われることになり、大崎に祝辞の依頼がきた。藤井がデビューして間もない頃に、大崎は『将棋世界』に「神を追い詰めた少年―藤井聡太の夢―」を連載している。これは当時の編集長・田名後健吾が企画して依頼したものだった。連盟は藤井が中学生ということもあり、取材のほとんどを断っていたが特別に許された。藤井家からの大崎作品への信頼が厚かったと思われる。

 当初、大崎はこの連載の書籍化を希望していた。ただ、担当した田名後は大崎が急に老け込んだ印象で、「すでに病気の兆候があったのではないか」と話す。タイトルを獲るまで取材を続ける予定だったが、途中で大崎から「終了したい」という申し出があった。「体力に自信がなかったのだと思う」と田名後は言う。

 祝辞を依頼した側は、大崎の病状を知らない。読み上げるにも声が出せないのだ。和は大崎に聞いた。

「『どうする? 断ってもいいと思うけど』って言ったら、『やる』って。病気をみんなが知ることになっても『それでもいい』って。

 ちょうどあの頃、抗がん剤治療の効果が出て癌細胞も小さくなり、食事も取れるようになったときでした。生きる元気が出てきて、やってみようという気持ちを持てたのだと思います。じゃあ大崎が書いて、それを私が読むということになった」

 最初に書き上げた原稿を、和が読み上げると26分もかかった。

「『長すぎだから!』と言ったら、書き直したのですけどまだ全然。もう一度文章を詰めたのですけど、やはり長くて。ただ、好きなようにさせてあげたい気持ちもあり、それ以上は言いませんでした」