高橋和(やまと)女流三段は現役の女流棋士ではない。1991年に14歳という当時最年少の若さでプロデビューするや可愛らしいルックスでアイドル的存在になった「和ちゃん」は、28歳のとき、突然引退し将棋界を驚かせた。
4歳で遭った交通事故により左足に重傷を負い10回繰り返した手術、19歳年上の「将棋世界」編集長との結婚、波乱万丈の人生の中でたどりついた「教えるプロ」の仕事。そんな高橋女流三段の半生を、東京・吉祥寺で自身が経営する女性や子どもをメインターゲットにした将棋スペース「将棋の森」でインタビューした。
まずは、2005年の2月に日本将棋連盟に引退届を出した話から――。
引退は公式戦を戦わなくなるもので、女流棋士の肩書は変わらない。女流棋士の引退には、成績の低迷による強制的なものと、自らの意志によるものと両方があり、自ら現役引退の道を選んだ女流棋士はこれまでに何人もいる。とはいえ、高橋女流三段の場合は、まだ20代の若さで、成績が下がってきたわけでもなかった。ファンからも「なぜ?」「寂しい」との声が多く上がった。
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教えることのほうが天職ではないか思った
引退は何年も考えていたことで、教えるプロとしてやっていこうと進む道を決めていたので、自分としては突然ではありませんでした。女流棋士は、対局料だけで食べていくのは難しく、私も指導対局をしたり、イベントに出たり、対局以外の仕事をたくさんしていました。その中で「子どもに将棋を教える仕事」に出会い、教えることのほうが天職ではないか思ったのです。
タイトルを目指し努力を重ねるのが、私が思う現役のプロのあるべき姿。タイトルを目指して頑張って、ナンバーワンになっている人を私は尊敬しています。そんな人を間近で見ると、私はナンバーワンへの深い思いに欠け、心からタイトルを目指すことができていないと思いました。
夫である大崎善生には相談しましたが、他の女流棋士や将棋関係者には一切伝えませんでした。だから「突然」と感じられたようで、女流棋士仲間にも「呆然とした」とか「まだまだ、やれるのに」とか「相談してほしかった」とか言われました。
高校2年の終わりに、女流名人戦のA級リーグに上がりました。現役時代には、女流名人戦A級リーグとB級リーグがあり、私はA級とB級を行ったり来たり。両方経験して見えたのが、A級の凄さ。自分とは才能が違うとしか言いようがない。コツコツ将棋の勉強を重ねるという面では、私にも多少の才能はあったかもしれませんが、決定的に欠けているのは「1番になりたい」という気持ちの強さでした。「タイトルを獲って自分が幸せなのだろうか」なんて考えてしまう。そんなことを考えている時点でダメなんです。タイトルを獲りたいという強い思いがあり、それに向けて当たり前のように努力を重ねる、才能ある人はそれを意識しなくても自然にできるのでしょうね。
引退したら心が軽くなった
私が初めてA級リーグ入りしたときに挑戦者になったのが清水市代女流七段でした。私が一番才能を感じたのは清水さんです。タイトルに向かって自然に努力する思考も、立ち居振る舞いも、すべてが美しいと思いました。