文春オンライン

特集観る将棋、読む将棋

「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

高橋和女流三段インタビュー #1

2021/03/30

 今も女流棋士が可愛いと言われることはよくありますね。私も「今の女流棋士には可愛い子がたくさんいる!」「確かに可愛いもんね、そりゃファンの皆さんも可愛いって言っちゃうよね」なんて思います。「可愛い」と言われて、嬉しい女流棋士もいると思いますし、「可愛い」と褒めることが悪いとは言いません。ただ私は、外見を気にするような性格ではなく、可愛いと言われることに喜びを感じるタイプではなかった。容姿を褒められても嬉しくはなかったんです。40代になってそういうことが関係なくなって、今は非常に楽になりました。

「いいじゃん。そんなの言わせておけば」という衝撃の一言

 現役時代は勝たなければと、もちろん勉強もしていて、プロになってからも研修会に入っていました。C1くらいでしたかね。これから奨励会に入る少年たちとも指して、小学校低学年だった渡辺明名人もいました。「この手は少し~」なんて、小首をかしげてしっかり感想戦をして当時から大物でした。

 高校は自宅から近い、神奈川県立鎌倉高校に通いました。女流棋士ではなく1人の生徒として見てくれました。みんな勉強すればできるのに、遊んでしまい、浪人率、さらには2浪率が高い進学校として有名(笑)。そののんびりした雰囲気が好きでした。友人と将来の話をして、私は、これから大学進学して将来の道を決められる彼女たちを羨ましく思い、彼女たちはもう将棋という道が決まっている私を「いいな」と言って、お互いないものねだりだなと思ったこともありました。

ADVERTISEMENT

 

 高校を卒業して女流棋士1本の生活になると、自律神経失調症に余計苦しむ感じ。19歳のときには不調は限界でした。そんなときに、日本将棋連盟発行の月刊誌「将棋世界」の「和とレッスン」という話をいただきました。全国の支部などに出向いて、私が指導対局をして、その様子を将棋ライターの田辺忠幸さんと、カメラマンの弦巻勝さんがレポート、締めくくりにはヨーロッパに渡って、現地の将棋ファンと交流するという大型企画。1996年の1年間に毎月「将棋世界」に掲載されるというものでした。

「将棋世界」編集長(当時)の大崎善生さん(左端)、カメラマンの弦巻勝さん(右から2番目)、ライターの田辺忠幸さん(右端)と(高橋和女流三段提供)

 こんな目立つ仕事をしたら、また悪く言われてしまう。当時の「将棋世界」の編集長、大崎善生のところに断りにいき「いろいろな人にこれ以上、何か言われるのは嫌で、やりたくない」と言いました。返ってきた言葉は「いいじゃん。そんなの言わせておけば」。

 その言葉は、何か言われることを恐れてばかりの私にとって衝撃の一言でした。「何か言うやつには言わせておけばよい。大切なのは自分がやりたいかどうか」とも言われ、「やりたい」と思った私は、その仕事を引き受け、大崎編集長と田辺さん、弦巻さんの4人で全国を巡り、ヨーロッパにも行きました。

 その企画が終わってからしばらくして、19歳年上の大崎とお付き合いが始まりました。