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「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

高橋和女流三段インタビュー #1

2021/03/30

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 現在、女流名人戦は挑戦者決定リーグ1つのみだが、高橋女流三段が初のA級昇級を決めた1993年はA級、B級、C級の3つのリーグがあり、順位戦のような昇級降級システム。女流名人挑戦者を決めるA級リーグは6名のみで、トップクラスの女流棋士が集まっていた。白玲戦も清麗戦もなかった当時は、最も伝統ある女流棋戦である女流名人戦A級リーグ入りは大きな意味があった。

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対「自分」での負けず嫌いだった

 私は「負けたくない」という気持ちで将棋を続けてきたことでプロになったのですが、それは、対「人」での負けず嫌いというより、対「自分」での負けず嫌いです。小学生の頃、毎日、父と将棋の勉強をしていました。父はストップウォッチで詰将棋を解く時間を1問ずつ計ってくれました。1秒でも速く解こうと燃えてどんどん解いているうちに、短手数のものなら1秒で解けるようになり、長手数のものにもチャレンジして解けるようになっていきました。そんな自分との戦いには、将棋でなくても絶対負けたくなくて、引退後に一時期熱中した刺繍や編み物の趣味でも「今夜はここまで終わらせなくては寝てはいけない」とか自分に負荷をかけて、クリアしていくのが好き。

 こう見えても私は平和主義者で「あの人に勝って、自分がのし上がる!」なんて闘志は燃やさないタイプです。

 

 引退したら、本当に心が軽くなりました。「いいんですか、こんなに楽に生きて」「世の中って、こんなに明るくて軽やかだったの」という感じ。14歳でプロになっていたから、プレッシャーのない人生のほうが逆に分からなくなっていたんです。ご飯が美味しくなって、体重も4キロ増えました。それでも足どりは軽い。よく「また勝負の世界に戻りたいんじゃない」なんて言われますが、1ミリもそんなことは思いません。引退して、教える仕事をしている今が幸せです。

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将棋に打ち込んだきっかけは4歳のときの交通事故

 私の人生に大きな影響を与えているのが、4歳のときにあった交通事故です。でも、人生が狂ったとはまったく考えていません。むしろ、将棋に打ち込んで女流棋士になって、今、教える仕事に夢中になっているのは、交通事故にあったおかげだと思っています。事故にあわなかったら、きっとスポーツ選手になっていたのではないかな。負けず嫌いを発揮し、何かに打ち込んで、記録を伸ばしたりしていたと思います。

2歳頃。兄の幼稚園の制帽をかぶって(高橋和女流三段提供)

 事故にあったのは、母が手伝っていた祖母の店で忙しく働いていた日でした。邪魔ばかりする私に困った母は、私を近くの公園に連れて行き「迎えに来るからここにいるのよ。道路は危ないから絶対渡ってはダメ」と言い、私は「分かった」と返事をして1人でブランコや滑り台で遊んでいました。1981年のことで、今とは違い、幼児が大人のいないところで遊んだり、歩いたりしているのは、珍しいことではありませんでした。