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「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

「可愛ければそれでいいの!」14歳でプロ入りした女流棋士が“勝負の世界”になじめなかった理由

高橋和女流三段インタビュー #1

2021/03/30
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ある日、シンデレラが見つかったんですよ!

 しばらくして私は1人で店に帰ろうと、母の言いつけを破って「危ない」と言われた道路を渡ってしまったのです。信号もないところを。トラックにひかれ、左足の膝から下は筋肉はもちろん、骨の一部がなくなる重傷を負いました。成長するはずの部分がなくなったので、その後成長に合わせて、骨や腱を腰や右足から移植したり、大小10回も手術を繰り返し、身長が止まる中学生まで治療が続きました。

病院にて、同時期に入院していた男の子と(高橋和女流三段提供)

 左右の足の長さが違い、障害も残っているのですが、持ち前の運動神経の良さでカバーし、歩くのはもちろん、体育の授業も普通にこなしてきました。隠していないのだけれど、自分から「足が悪くて」と言うこともないので、一緒にいる人に「歩きましょう」と言われ、長い距離を歩くこともあります。

 母は「自分のせいで事故にあった」と自らを責めて、少しでも私の足が良くなるように必死でした。手術はすごく痛いし、移植は夏休みに長期入院が必要で、本当は受けたくありませんでした。でも、母の気持ちを思うと、そんなことは言えません。母の言いつけを私が破ったから事故にあった。そのせいで、母がずっと苦しんでいるのだから、母の苦しみを軽くしたいと思っていました。一度も「母のせいでこんな足になった」なんて言ったことも考えたこともありません。加齢とともに足が不自由になると言われていて、立って将棋を教えることもできなくなるかもしれないと覚悟もできています。

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 靴は左右でサイズが違い、長年同じ靴のサイズ違いを2セット買って組み合わせ、使わないほうは捨てていました。それが忍びなくて……。そうしたら、ある日、シンデレラが見つかったんですよ! その話を読んだ女性から「私も足が悪く、左右の大きさが逆に違う」とお手紙をいただきました。すごい偶然ですよね。サイズもぴったり。嬉しくなって、2足買った靴の使わない側は、その方に送っています。

小1で将棋を始めて小6で女流育成会に

 将棋を始めたのは小学校1年生のとき。アマ5級くらいの父が3歳上の兄と一緒に教えてくれました。兄はまじめで私にもとても優しいのですが、勝負事に向いておらず、私ばかり勝つので、父は私だけに教えるようになりました。近所の子が、アマ有段者の大工さんのところに将棋を習いにいっていて、私も通うように。そこで、後に師匠になる佐伯昌優九段の道場を紹介されました。

師匠の佐伯昌優九段(左端)と姉弟子の斎田晴子女流五段(左から2番目)と(高橋和女流三段提供)

 当時は子ども将棋教室はなく、道場はおじさんばかり。喫煙者が多く、道場の上1/3は白く曇っていました。女の子は珍しくて、私はそれは可愛がってもらいました。「おいで。ハイッ缶コーヒーあげる」なんて甘いものをもらって対局すると、勝つのは私。「いやー、今日は調子が悪いな」と言いながらおじさんは去っていき、「違うよ。調子悪いせいじゃないよ」なんて思っていました。そんなことが楽しくて土日は欠かさず通い、家でも毎日父と将棋の勉強をして、アマ二段だった小学校6年生で女流育成会に入りました。