前の晩は愛する者に囲まれて、本当に幸せそうだった。午後10時頃にかづが宿泊先に戻り、唯が2階に上がると急に力が抜けてしまった。和は心配でずっと付き添っていたが、午前1時頃に大崎が「もう寝るよ」というので「おやすみ」と言って2階に上がった。疲れていたため、ベッドに倒れ込むように眠りに落ちた。それでも午前3時と6時にモニターで大崎の様子を確認した。この2年間はほぼ熟睡したことがなく、毎夜ハッと目が覚め、モニターで胸のあたりが上下に動いていることを確認する日々だった。

「2人に会った日は、もう思い残すことはないという感じでした。あのときに救急車を呼んでいたら、病院のベッドで亡くなることになったのかなぁ……。最期は家がいいって言っていたから、上手な幕引きだったと思います。そりゃ見つけた方はいい気はしませんよ。私としては最期に映る景色の中にいたかったと思いますが、それも配慮だったのかもしれません」

妻の高橋和さん ©野澤亘伸

彼の死をもっと冷静に受け止められるはずだったのに…

 葬儀の準備のため、大崎と親しかった編集者たちが自宅に集まってくれた。香典返しを決めているとき、ふと天井から蜘蛛が1匹降りてきて、パンフレットの上にとまった。和は「ああ、大崎の仕業だな」と思った。

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「最後の2年間ですね、あらためて大崎と向き合ったのは。あのときは異常なまでの正義感と使命感が、私を真っ直ぐに立たせていた。正しいことをしていれば、きっと救われる、自分も相手も。正直、その時間の中で覚悟はできていたし、彼の死をもっと冷静に受け止められるはずだった」

 仕事で人前に立つときは毅然としていられた。だが、自宅でポツンとしていると正気を失いかけ、大きな沼に呑まれそうになる。一人になることで、これほどの喪失感に落とされるとは思わなかった。

 だめだ、だめだ、だめだ!

 唇をかみしめて太腿をアザができるほど叩いた。こんな脆い姿を誰にも知られたくない。

 4歳のときにお別れした幼い自分が、心の奥に残っていた。交通事故の後、寝ている自分の枕元で母親が「ごめんね」と毎晩泣いていた。その姿を見るのが辛くて、「私は大丈夫、強くなる」と誓った。あれから人前で悲しみを露わにしたことはない。でも、本当は寂しがりやで、泣き虫で、頼れる人をずっと必要としていた。

 葬儀が終わって2週間ほどした日、夕飯を作っていた。ご飯を炊いて、彩り豊かな野菜に肉を焼いて乗せた。野菜スープを作り、果物も剥いた。食べ始めて、ずいぶんたくさん作ったことに気がついた。テーブルにいるのは自分一人なのに――。涙が頬を伝い、止まらなかった。 

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