「わからないことがある」という前提に立つ
村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』に、加納クレタという女性が出てきて、さまざまな痛みを経験してきたことを語る。
私の言う痛みとは純粋に肉体的な痛みのことです。単純で、日常的で、直接的で、物理的な、そしてそれ故により切実な痛みのことです。具体的に申し上げれば、頭痛、歯痛、生理痛、腰痛、肩凝り、発熱、筋肉痛、火傷、凍傷、捻挫、骨折、打撲……そういった類の痛みのことです。私は他人より遥かに頻繁に、そしてずっと強くそのような痛みを体験しつづけて参りました。
『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』新潮文庫
この加納クレタが、恋人から「君には努力が足りないんだよ。結局自分に甘えているのさ。君はいろんな問題を全部痛みに押しつけているんだ。愚痴ばかり言っていても仕方ないだろう」と言われる。
それを聞いてこれまで我慢していたものが、私の中で文字通り爆発してしまいました。『冗談じゃないわ』と私は言いました。『あなたに苦痛の何がわかるっていうのよ。私の感じている痛みは普通の痛みなんかじゃないのよ。痛みのことなら、私はもうありとあらゆる種類の痛みについて知っているのよ。私が痛いというときは本当に痛いのよ』、私はそう言いました。そしてこれまで自分が経験してきた痛みという痛みを洗いざらい並べあげて説明しました。でも彼にはほとんど何も理解できませんでした。本当の痛みというものは、それを経験したことのない人には絶対に理解できないのです。そのようにして私たちは別れました。
この「本当の痛みというものは、それを経験したことのない人には絶対に理解できないのです」という言葉は、真実だと思う。
“経験していないという壁”は、どうしたって越えられない。だから、どうやって越えたらいいのかと考えることは無意味だと思う。
では、絶望なのか? 痛みを話すことも、聞くことも無駄なのか?
そうは思わない。
ソクラテスの「無知の知」ではないが、「いくら想像しても、経験していない自分にはわからないことがある」という前提に立つことが、まず理解のスタートラインだと思う。