――どんなルールがあったのですか?
塚原 たとえば電話は3時間以内に折り返さないと殴られます。しかも深夜2時とかにかかってきたりして、朝5時までには折り返さないといけないのでタチ悪いですよ。まあ結局一発で電話出ないと怒られましたけどね(笑)。あと「暴霊」は髪型も厳しくて、金髪も長髪も禁止でパンチパーマかアイパー。同世代でパンチなんて誰もいませんよ。ピアスもネックレスもだめだし、学校よりゴリゴリに厳しかった。
――それでもバイクはやっぱり派手なのですか?
塚原 前にロケットがついて、後ろは三段シート。マフラーも音が一番うるさい仕様にして、ハンドルは絞りハンドルっていうクソ運転しにくいやつ。ザ・暴走族みたいなバイクでしたね。
――バイクを持つためにはお金もかかるのでは。
塚原 昼間は通学もないんで大工とか引っ越し屋とかの仕事をしてました。バイクは30万~60万、特攻服が30~40万ぐらいですかね。
「鉄パイプや安全靴でボコボコにされた時は『これ死んだわ』と思いましたね」
――暴走したり喧嘩したりするなかで、一番危なかったのはどんな時ですか。
塚原 仲間とバイクで走ってると、ヤクザさんなのか何なのか知らないけど車で追い回されることが時々あったんですよ。それで車に突っ込まれたり、車を避けようとしてバイクで80キロぐらいでガードレールに突っ込んだこともありました。喧嘩だと鉄パイプや安全靴でボコボコにされた時は「これ死んだわ」と思いましたね。
――当時の宇都宮の暴走族はモテたのですか。
塚原 いや、モテませんね。だいたいパンチパーマですし。同世代はみんなおしゃれに金髪とか茶髪にしてるのに、こっちは真っ黒で、柄も悪いし。俺が女の子だったら絶対嫌ですよ、暴走族なんて(笑)。
――真面目な子に育てようとした1人息子が着々とグレていくことに、お母様の反応はどうでしたか。
塚原 相当怒られましたね。何回か、母親自身が警察に通報することもありました。団地の部屋でみんなで溜まって爆音で音楽を流してたら警察が来て、「なんで来たんだよ」って聞いたら「お前んとこの母親が呼んだんだよ」って。
――やはり、だいぶ手を焼いていた。
塚原 中学のときなんか、母親に「好きなもの買ってあげる」と言われて車に乗せられて、走ってるうちに寝ちゃったんですよ。「着いたよ」って起こされたらスーパーでも何でもなく、児童相談所みたいなところだったこともありました。本当に悪い道に行かせたくなかったんでしょうね。
――それでもグレるのが止まらなかった頃、どういう気持ちだったんですか。
塚原 毎日「死んでもいい」と思いながら過ごしてました。10代の頃なんか「死んでなんぼ」ぐらいの勢いで。気合を入れていかないとかっこ悪いし、死んでもいいイコール無敵だと思ってたんで。
――死ぬ気で悪さをしていたら、少年院へ入ってしまったのですね。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

