「神の手」をマニュアル化した
そこで全員で生産者組合を結成し、生産体制を根本から見直した。町、県、高知大の三者で研究を重ねると、最後まで作り続けていた一軒の製法が最も美味しく、成分も充実していると分かった。
小笠原章富さん(昨年十二月、七十三歳で死去)だ。「小笠原さんは神の手を持っていた」と大石次長は振り返る。
碁石茶の生産で最も難しいのは、カビによる第一段階の発酵だ。これがうまくいかなければ、第二段階の乳酸発酵が進まない。
「第一段階の発酵中は、夜中も起きて茶葉の状態を確認するのですが、小笠原さんは手を入れただけで、あらゆることが分かるのです。状況に合わせて、ムシロのかぶせ方を変えたり、上から押さえつけたりして、発酵を進めていました。誰にもまねができない神業でした」
清酒の杜氏で麹の扱い方が天才的に巧い人がいるが、小笠原さんはまさにそうした才能の持ち主だった。
その「神の手」の作業を、温度などのデータとして記録し、細かくマニュアル化した。これに倣った生産者はめきめきと腕を上げた。マニュアルは組合内の「秘伝」にした。
また、カビを分析すると、小笠原家のムシロなどに住み着いている菌の能力が最も高かった。これが結果的に強い乳酸菌を生み出していた。小笠原さんはカビを全組合員に分け与えた。
「小笠原さんは柔和な人でしたが、『誰かが碁石茶を飲んでくれる限り絶やさない』という強い意思を持っていました。そして先祖から受け継いできた大切なカビなのに、皆で碁石茶を守ってくれるならと惜しみなく分けてくれました。小笠原さんがいなければ、碁石茶の復活はありませんでした」と大石次長は語る。
一〇年、小笠原さんを理事長にして碁石茶協同組合を設立したが、その後も苦闘は続いた。
出荷を安定させるために、健康食品などを扱っている会社と全量買い取り契約を結んだのだが、その会社が東日本大震災で被災し、碁石茶どころではなくなったのだ。組合全体で年間五千万円を超えていた売り上げは、約千三百万円に落ちた。「一社に頼っていてはダメだ」。大石次長らは小売店などを駆け回って営業した。売り上げはなかなか伸びなかった。それでも「大化けするのは時間の問題だ」という確信があった。
品質への自信だけではない。県や高知大との共同研究で、碁石茶の健康食品としての機能が分かってきたからだ。抗酸化作用が高く、高脂血症や動脈硬化などの抑制効果があると判明した。インフルエンザの予防に効くというデータも得られた。
日本の社会全体も高齢化が進み、健康に気を遣う人が増えていた。