乳酸菌は、ヨーグルトなどの動物性よりも、碁石茶のような植物性の方が過酷な環境に耐えられる。このため人が摂取した時に生きて腸にたどり着く確率が高いとされている。その植物性乳酸菌の中でも、より優れた菌を、企業が血眼になって探して商品化する時代になっていた。
一五年度、大石次長は教育委員会に異動して担当を離れた。が、この年、テレビ放映をきっかけに碁石茶ブームが起きた。今度は本物だった。年間の売り上げは一億円を越え、全生産者の在庫が底を突いた。
「百貨店からの問い合わせのほか、成分を抽出してサプリメントにしたいという製薬会社や、基礎化粧品に使いたいという化粧品会社もあります」と組合の営業担当、元久晴夫さん(六十六歳)は話す。市場には類似品が出回る始末だ。
悩みはある。高齢化で引退する生産者が相次ぎ、組合の加盟者は四軒と一法人に減った。支柱だった小笠原さんも病気で亡くなった。
「生産量確保のためには後継者養成が急務ですが、若手が少ない町なので容易ではありません」と組合事務局の吉村優二さん(五十四歳)は言う。吉村さんも生産者の一人だ。
重労働なのも後継者不足の理由だろう。梅雨の蒸し暑い盛りに、茶葉の刈り取りや桶蒸しを行う。生産者の長老になった上地美津男さん(六十八歳)は昨年、茶葉刈り取りの翌朝に起き上がれなくなった。看護師の妻が診ると脈が飛んでいた。だが、刈り取った茶葉は、時間を置かずに桶蒸しをしなければならない。病院で点滴を受けながら作業を続けた。「厳しい作業ですが、素晴らしいお茶です。作りたい人は必ず出てくる」と信じて今年も作り続ける。
町民の期待は高まっている。五十代の女性は「『近くの店は売り切れたので、町で買って送ってくれ』と関東の親類に言われました。『大豊に碁石茶あり!』と全国に広まれば、移住者がもっと来るかもしれません。他の産品も売れるはず」と声を弾ませる。
町にはギンブロウという大豊固有の黒くて甘い豆がある。家庭で食べられていただけだったが、高知市の旅館がロールケーキや大福に加工して、近年売れ始めた。飛行機の機内食にも採用された。同じ大豊固有種と見られる豆は他にもある。紫色のムラサキブロウ、白色のタマゴブロウだ。これらは細々と栽培されているだけだが、売り方次第では第二第三のギンブロウになるだろう。
こうした希少な茶や豆は、市場社会から見放されたような町だからこそ、ひっそり生き残ってきた。しかし時代は移り、大量生産の規格品よりも、納得できる逸品を求める人が増えた。希少さが市場価値を高める世の中にもなった。
「今は限界突破が合い言葉です」と大石次長は笑う。たとえ一軒になっても耐え、いくら壁に直面してもくじけなかった人々は挑み続ける。
諦めなければ「限界」はない。