Oさんは、家族療法について母に説明をしました。実践するのは大変であること。成人した息子、娘が治療の最中に子供に戻ってしまうような場面もある。「その時に、お子さんを抱きしめられますか?」とも問いました。すると母は少し思案した後、「いいえ。できません」と一言。父の否定的な態度はある程度想像の範囲内でしたが、母の断ち切るような言葉は予想外で、聞いていた私はショックを受けました。
母が帰った後、Oさんと話をしました。この機会に姉の治療が進むことを願っていたので、私はこの結果に呆然とし、今後どうしていいのか考えが浮かばなくなりました。Oさんはこのように言いました。
「お姉さんもあなたも元気になり、家族皆それぞれに、問題が起きる前の人生を歩めるようになる。そのような、あなたが期待しているような解決はないかもしれない」
ということは、少なくともこの先10年、20年はこの状態がずっと続くのだろうと想像がついた。それなら姉の問題は一旦両親に任せて、私は自分の人生を優先する方がいい。そう悟るとかえって焦りが消えて、心は落ち着きました。
家から離れる決意
姉を医師に診せるという道は、留年が決まった時も諦めてはいませんでした。まだ何かできることがあるんじゃないか、と。
でも、両親と相談しても埒があかない。日常に愛情を感じる言葉のやりとりもない。もう父だけではなく母も“姉は病気ではない”という物語の中におり、話にならない状態でした。だから札幌の家から離れようと決めました。
それ以前から自立しなければと思い続けてはいました。姉のことで両親と衝突しているのに、留年する学費は全部出してもらっていた。経済的にも親頼みだし、根無し草みたいな学生だったので、家族の中で私の発言権は軽かった。ちゃんと生活力を得た上で意見をしようと心を固めたわけです。
卒論も今回は出せて卒業は確実になり、内定をもらった大手住宅メーカーに入ることにしました。営業職だったので不安はありましたが、とにかく就職することを第一に考えました。自分が目指す先には行けませんでしたが、生き方は私が決められた。
家を離れるにあたり、私のように自分で人生の選択をする状態にない姉のことが気になってしまいました。

