医学部に通うほど優秀だった姉に、統合失調症の症状が現れて突然叫びだした。医師で研究者の両親は、そんな姉を「問題ない」と医療から遠ざけ、南京錠をかけて家に閉じ込めた――。

 藤野知明監督による映画『どうすればよかったか?』は、20年にわたり自身の家族にカメラを向け続けた作品だ。2024年12月に公開されるとすぐに口コミで大きな話題を呼び、動員数は16万人を突破。ドキュメンタリー映画として異例のヒットを記録した。

 ここでは、映画に入れるのを断念したショッキングな事実も含め、藤野監督自身が率直に綴った著書『どうすればよかったか?』より一部を抜粋。

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 やっとの思いで姉を入院させ、症状が改善され始めてから6年後、姉が56歳のときに肺がんが見つかった。翌年には父が脳梗塞になり、左半身の麻痺が残る。同時に2人の介護生活を送ることを余儀なくされた監督が経験した姉との別れ、葬儀で父が述べた言葉について綴った部分を紹介する。(全4回の3回目/続きを読む

藤野監督の姉。スコットランドで開かれた国際学会に向かう列車の中で。 ©2024動画工房ぞうしま

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父と姉の介護生活

 そのうちに父が突然立ち上がれなくなり、歩けなくなりました。病院をまわって調べると、前立腺がんが進行していることがわかりました。移動は杖から車椅子になり、トイレまで自分で行けていたのが、がんの進行とともにそれも無理になってきました。

 トイレの代わりに蓄尿バックに排尿するのですが、尿の量、どれだけ水分摂取しているか、血尿ではないかどうかを調べるのは私や姉がやっていました。姉も具合がよい方ではなかったけれど、父の世話は積極的にしていました。

 私はとにかく後悔したくなかったので、できる限りのことをしようと思いました。自分の仕事として行っていた撮影もこの時は休止しました。

 この時の我が家は父と姉の2人に4つの病気が存在していて、通う病院もそれぞれで違っていました。父のケアマネージャーさんから、姉にも介護保険が適用されると教えられて、介護で受けられるサービスは最大限利用しました。

 父の介護を手伝ってくれていた姉でしたが、室内でよく転ぶようになってしまいました。転ぶだけならまだしも、起き上がれなくなってきた。朝起きると廊下で倒れていることも増えてきたので、1階の床にマットを敷いて足が触れるとブザー音が鳴るセンサーも設えました。でも、そのブザーが多い時で日に30回くらい鳴るようになってきた。寝ていても頻繁に鳴るブザーの音で起こされ、眠りが浅くなってしまいました。

 介護を受けながらも、父の頭はしっかりしていました。父はテレビで見たというマインドフルネスや呼吸法を姉に教えていました。

 この頃私は、「お姉ちゃんは家にいるのが好きだから、病院ではなく家で看取る方がいいのかな」と漠然と考えていました。けれど姉は状態が徐々に悪くなって食事をとるのも難しくなり、入院せざるを得なくなったんです。

 姉の主治医からは「心停止した場合、どうしますか」と聞かれました。大抵の人は「そのままに」と答えるようですが、姉は、

「心臓が停まったらまた動かしてください」

 と答えていました。

 傍らでそれを聞いていた私は、「停まる理由があって停まるのだから、蘇生処置をしてもまた停止してしまうんじゃないか?」と思っていましたが、それが姉の考え方なんだと受け止めることにしました。

 同時に、姉の死を恐れる気持ちがずっと変わらないことを改めて感じたんです。誰でも死は怖いものでしょうが、姉ほど死を恐れる人はいませんでした。姉は100歳以上の長寿の方の写真や言葉を家に貼っていました。できれば永久に生きていたいのでしょうが、最低でも100歳までは生きるつもりでいたんです。

 とにかく「1日でも長く生きたい」というのが姉の意思だったので、標準治療の範囲内でできる治療はすべてやりました。