ビートルズを聴きながら
姉がこの時入院していた病院からは、治療ができなくなった時に身体拘束はしないという説明を受けていました。しかし書類にサインするように求められ、よく確認したら、「身体拘束する」という内容が書いてあった。口頭での説明と書類の説明が相反していたんです。
長く通った病院でしたが、虚偽の説明を受け、信頼関係がなくなってしまった。ここに姉をこれ以上いさせるべきではないと思いました。そこで、別の病院へ介護タクシーを呼んで移ることになりました。
父と姉が会ったのは、その転院前後の時が最後でした。父はその時も、呼吸法について姉に教えていました。映画の中で姉がケーキを食べているシーンがありますが、それが父と姉が一緒にいる最後の場面になりました。姉は放射線治療のせいで髪が少し抜けていました。食べ物はもうほとんど受け付けなくなっていました。
転院後の病院では、積極的な延命治療のために全身管だらけにされてしまわないように、点滴で栄養を送るくらいの処置にしてもらいました。当時はもうコロナ禍で、なかなか面会はできない状況でした。でも、姉が好きなケーキを持って毎日病院に通い、看護師さんから姉の状態を聞いていました。この時、少しでも姉が移動可能な状態になれば家で看取る準備をしていました。
病院に個室を用意してもらい、久しぶりに顔を合わせた姉に「家に帰りたいですか」と聞くと、姉は「帰りたい」と返事をしました。
姉は様々な宗教に興味を持っていましたが、結局のところ何か特定の宗教を信じているようには見えませんでした。この状態で自分が姉に何かできることがあるかなと考えた時に、「意識がなくなっても耳は聞こえていることがある」と看護師さんから聞いたことを思い出しました。そこで一旦家に帰ってICレコーダーにビートルズのベストアルバムをダウンロードし、翌日病室に持っていって、苦しそうに寝ている姉に聴かせました。
姉は中学生くらいから、ビートルズのLPをたくさん集めていました。曲をかけながら歌っている姉の姿が記憶に残っていました。英語の歌詞の意味は理解できなかったけれど、幼かった私も姉にくっついて一緒に聴いていました。だから、姉との思い出の音楽でもある、ビートルズを最後にかけることにしました。
病院から「今日は病院に泊まって下さい」と言われ、私は姉のベッドの横の椅子で夜を明かしました。
翌日の早朝、姉は息を引き取りました。
これでもう姉にできることは何もなくなってしまいました。肺がんが見つかった時から後悔しないようできることは最大限してきたつもりでいました。しかし後悔の気持ちは少しずつ湧いてきました。
姉には大きな可能性がありました。大好きだった天文学でも絵画でも能力を生かせた場はあったと思います。
入院までかかった25年という歳月は、あまりに長すぎました。
