姉の葬儀で

 病院から父に電話をかけ、姉が亡くなったことを伝えると父は「そうかい」と答えました。葬儀の手配など、やらなければならないことが迫っていたのであまり長く話はできず、短い電話の中で父の様子をうかがうことはできませんでした。

 朝7時頃に帰宅すると父は起きていました。姉が亡くなるまでのことを聞いてきたので伝えると、父はじっと聞いていました。

 葬儀屋さんとの事前打ち合わせで、お棺に少しだけ物を入れられると聞き、父から論文を探してほしいと頼まれました。両親と姉の名前が入ったものです。私はやめた方がいいと思いましたが、父の希望通りの小冊子をどうにか見つけました。葬儀には親戚が数名と私の知人が数名参列してくれました。

ADVERTISEMENT

 父は弔辞で「私の研究を手伝ってくれた親孝行な娘だった。ある意味で娘の一生は充実していたといえるのではないか」と語りました。父はきっとそう思いたかったのでしょう。

 そして姉が統合失調症を発症していたことを一切言いませんでした。私は、父が姉の死の直後から統合失調症を発症していた事実をなかったことに書き換えていることに強い違和感を覚えました。

 通夜には親戚も来ていたので撮影するつもりはありませんでしたが、我慢できず、携帯で父の弔辞の様子を途中から撮影しました。父は同じ話を3回して弔辞を終えました。

 その流れで、お棺を閉める時も携帯で撮影することにしました。まず姉の周りに花が敷きつめられ、私が父に姉の名前が入った2つの論文を渡すと、父は論文を姉の顔のすぐ下あたりに置きました。

 親戚の一人が「これで勉強ができるね」と言ったので、私は「(勉強を)したければね」と反応しました。すると別の親戚が私の意図に気づいたようで「もう勉強は嫌だって言ってるかも」と継ぎました。それでも父は論文を指さし「これで始まって、これで終わったんです」と続けると、親戚たちは「あぁ、そうなんですね」と相槌を打ちました。父の態度は、自分の願望を姉に押し付けているように見えました。

 葬儀屋さんは姉のためにショートケーキを用意してくれていました。私は姉が愛用していたタロットカードと未使用のスクラッチくじを数枚入れました。

 父は最後に姉の鼻をちょんと触りました。そしてお棺は閉じられました。

2012年。父と姉と3人で花火を見に行った。 ©2024動画工房ぞうしま

どうすればよかったか?

藤野 知明

文藝春秋

2026年1月29日 発売

次の記事に続く 「なぜ病院に行かせなかったの?」姉が統合失調症になってから40年…『どうすればよかったか?』監督が最後に父に聞きたかったことと“父の答え”

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。