姉の記録を残さなくては

 家を出ることになった私は、今のうちに姉の記録を残さなくては、と考えました。記録を残しておけば、いずれ医師に聞かせることができるかもしれない。だから日頃、大学の行き帰りに音楽を聴いていた愛用のウォークマンにマイクを付けて録音を始めることにしました。以前から何度か録音を試みたこともありましたが、うまく録れず不完全な状態でした。

 初めて録音した日、夜の10時か11時くらいだったと思います。リビングで姉が興奮状態に陥り大声を上げているのを、単身赴任先から帰っていた父が落ち着かせようとしていました。怒っているかと思えば泣くような声でした。2階の自室にいると姉が大声を上げたり、1時間おきに部屋に入ってきたりするので、当時私は応接間で寝起きしていました。

 すると応接間のドアがガチャッと開いて姉が入ってきました。私はウォークマンのスイッチを入れました。

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1992年、初めて家の様子を録音した時。姉は隣の部屋と私がいる部屋を行ったり来たりしながらしゃべり続けていた。父は姉の後をついて歩き、姉をなだめようとしていた。母は家の中にいたが、この時近くにはいなかった。時刻は夜10時まわっていた。(イラスト:藤野知明) ©2024動画工房ぞうしま

「知明、日本のバカだな。なんでそんなにゲレ(北海道の方言で「ビリ」の意)になってんの」

 姉はそういう言葉を発していた。怒っているのは私が留年していたからです。

「早く上がんなさいよ。お前、できなきゃだめだ」

 姉自身も長い浪人生活を過ごしていた中で「よい成績を取らなければ」という強迫観念を抱えており、こういう言葉が頭に巡っていたのではないか。だからこの夜、私を媒介にした自分自身を鼓舞するような言葉が溢れていたんでしょう。

「お前の顔なんか病院に叩き込んでやるぞ」

 これは成績云々とは関係ありません。「病院」というのは精神科病院を指しています。姉が気にしていたことが口に出たのだと思います。

 83年に救急搬送されて以来、姉は病院には行っていません。ただ、病院という存在を気にするようになった遠因はいくつかあるのだろうと察しています。だから、「病院」「入院」を意識せざるを得ない状態だったのかもしれない。

その後続けて、

「どうして家から分裂病が出なきゃなんないの」

 と言い、「自分は統合失調症かもしれない」という疑いを打ち消そうとしているように聞こえます。とにかく姉の頭の中は嵐のようになっていて、大声でも出さないと落ち着かない、不安を抑えられなくなっていたんだと思います。

 その状態は私にも覚えがありました。半年間の下宿暮らしの頃でしょうか。静かな部屋で夜、電気を消して寝ようとした。すると家族や自分の将来についてのいろいろな悩みや考えがぐるぐる回ってきて、それがもう止まらなくなる。自分でコントロールできない思考がエンドレスで回るんです。寝ているのも辛いから、冬の夜中にコートを羽織って外へ出ていき、大学の周りを2時間くらい歩き続けていました。

 録音を聞き返すと、力尽きて止むまで約30分続いた姉の大声も、そういった不安への抵抗だと感じました。

どうすればよかったか?

藤野 知明

文藝春秋

2026年1月29日 発売

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