帰宅後、母親が改めて理由を尋ねると、ダイキさんは「転んで教室の机の金具に引っ掛けた」と同じ説明を繰り返した。母親は「次は気をつけなさいよ」と諭すしかなかった。

 その日の17時頃、担任の女性教師から状況確認の電話があった。「明日、学校はどうしますか?」という事務的な確認と共に、学校の管理下での負傷時に適用される「災害共済給付金」についての説明を受けた。

「その後、学校から渡された書類には、ダイキの説明通りに『転倒して怪我をした』といった必要事項を記入しました。ただ今になって思えば、学校側は事件直後の聞き取り調査ですでに『Aのカッターによるもの』という事実を把握していたはずです。にもかかわらず、学校がどのような名目で共済金を申請し、事務処理を行ったのかは私たちには分かりません」

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「毎日が強いストレスと心労の連続でした」

 それでもダイキさんが自分で転んで怪我をしたと思っていた両親は、学校側の対応を「親身で心配してくれている」と感じていたという。

 ダイキさんの父親も、「刃物で切りつけられるなんていう発想自体がありませんから、息子には『次から気をつけろよ』とだけ言いました」というものだった。

 事件後、ダイキさんは真相を誰にも言えないまま中学校を卒業し、同じキャンパス内にある高校へと進学した。その日々は、常に恐怖と隣り合わせだったという。

ダイキくんの両親

「毎日が強いストレスと心労の連続でした。Aは隣のクラスにいる状態だったので、学校に行けば常に彼とすれ違う可能性がありました。そんな環境で、勉強や部活に安心して打ち込めるわけがありません。もし変にAを避けるような態度を取れば、『なんだお前、避けてんのか』と八つ当たりの対象にされるかもしれない。それが何よりも怖かった。だから僕は『卒業までとにかく逃げ切るんだ』と自分に言い聞かせ、Aに対しては当たり障りのないように接し1人で耐え続けていました」

 ダイキさんは、自分が黙っていても「いつか学校側が適切に調査し、事実を明らかにしてくれるだろう」という淡い期待も抱いていた。しかし、学校が動く兆しは一向になかった。