史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」から35年が経過した2024年夏、事件の加害者たちを長年追い続けてきた元「ニュースステーション」ディレクターの山﨑裕侍氏のもとに一本の電話が入る。発信者は準主犯格Bの義兄だった。そして電話で告げられた衝撃の言葉とは——。
「Bは死にました」突然の電話と知られざる加害者の素顔
2024年7月、札幌の自宅にいた山﨑氏に電話をかけてきたのは、準主犯格Bの義兄だった。20年ぶりに聞く声だった。電話の主な用件は義兄が勤める会社の不正についての相談だったが、会話の中で義兄は突然「Bは死にました」と告げた。山﨑氏と同い年で、生きていれば53歳になるはずだったB。「トイレで倒れていたところを発見されたようです」と義兄は語った。
綾瀬事件において、Bは主犯格Aに次ぐ「ナンバー2」の地位にあり、残忍な性格から被害者に対して暴力を振るっていた。東京高裁の判決でも「同被告人は、被告人Aが同席していないときにも、被害者が尿をこぼしたとして、被告人Cと共に、被害者の顔が変形して、頰と鼻の高さが同じになるほどの暴行に及ぶなど」と認定されている。
「こんな言い方したら変ですけど、薄気味悪い。嫌な印象しかなかったですね」と義兄はBとの初対面の印象を語る。Bは出所後、コンピューター会社に勤めるも、事件のことが噂になり辞めることになった。その後は「フラフラするようになって」仕事をせず、母親に金を無心するようになったという。
「出所したあとは、人生イチからですからローンもたくさん組めるし、自分のやりたいことはすべてできるんですね。それで高級車をローンで買ったりとか、まあとにかく目に余るぐらいの、ちょっとやりすぎじゃないかなっていう生活をし始めましたね」と義兄は当時を振り返る。
Bの死という報道すべきか迷う情報を前に、山﨑氏は「死亡した事実だけを伝えることに、どれだけ報道すべき価値や社会的意義があるのだろうか」と自問する。事件から35年が経過した今も、この事件は関連書籍やネット上の動画などで取り上げられ続けている。Bの死を知った山﨑氏の心には、長年この事件と向き合ってきた取材者としての複雑な思いが去来する。
