史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月4日に被害者のX子さんは命を落とした。

 事件から11年後、「ニュースステーション」ディレクター(当時)で、現在は北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、集団強姦に関与し懲役5年以上7年以下の不定期刑判決を受けた元少年・Dの母親に接触した。息子の犯した罪と、母親はどのように向き合ってきたのか。山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/最初から読む

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 午後10時半、アパートの前で待っていると母親が帰ってきた。僕たちは近くのカラオケ店に移動した。ソファに座り、ドリンクの注文を終えると、取材の趣旨を説明した。母親は仕事の疲労感を漂わせながら、抑揚のない声で淡々と近況を話した。

©nns23_イメージマート

「眠れない。2時間ごとに起きます」

 アパートの部屋は6畳と3畳の二間ですが、息子は6畳のほうにいて、私は3畳で寝起きしています。息子はふすまにカギをかけ、許可がないと部屋に入れません。ふだんはあまり息子と会話しません。会話をしても外出するときに「何か買ってくる?」「いらない」という程度です。もちろん事件のことは話しません。刑務所から出たときはガリガリでしたが、今は少し太って、身長は165センチくらい。年齢より老けて見えます。息子は仕事をせず、たまに弁当を買いにコンビニに行ったり、レンタルビデオを借りてきたりしています。事件後、自分は仕事を三度変わり、いまは近くのそば店の厨房で働いてます。午後1時に家を出て、午後10時まで働きます。デパートに行くと被害者のことを思い出します。ここに就職が決まっていたんだと。被害者の苦しみやつらさを自分がわかるわけではないですが、自分もつらい。眠れない。2時間ごとに起きます。もう二度と事件前の生活には戻れません─。

 母親はとりとめもなく語った。時計の針は午前0時を回ろうとしていた。明日も仕事だという母親をあまり長居させてはいけない。カメラでのインタビュー取材の約束をして別れた。

Dの母親へのインタビュー

 1カ月後の10月22日午後2時半。インタビュー当日。

 撮影場所は本来なら自宅がベストだが息子がいる。代案として、似たような間取りの古いアパートの部屋を借りた。母親の生活に近い風景のなかでじっくり話を聞きたかったからだ。柳本カメラマンはFのインタビューと同じように、母親の背後に回って、小さな背中を見つめるようにレンズを向けた。