史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月4日に被害者のX子さんは命を落とした。

 事件から11年後、「ニュースステーション」ディレクター(当時)で、現在は北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、集団強姦に関与し懲役5年以上7年以下の不定期刑判決を受けた元少年・Dの母親に接触した。息子の犯した罪と、母親はどのように向き合ってきたのか。山﨑氏の著書『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む

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監視役だったDの人物像

 2000年9月下旬、僕は東京の西部を走る私鉄の小さな駅を降りた。商店街を抜けて5分ほど歩いた線路沿いにある木造2階建てアパート。外階段があり、ドアは木板という古い建物だ。ここに監視役だったDと母親が暮らしているはずだった。事件発覚直後、Dの母親はここに引っ越していた。

 午前10時前、張り込んでいると部屋から小柄な女性が出てきた。青色のシャツを羽織ってはいるものの、上下とも白っぽいパジャマ姿。髪の毛はぼさぼさで、手にはごみ袋。Dの母親だ。声をかけようか迷ったが、さすがにその姿での立ち話は人目を気にするだろう。僕は見送った。

 綾瀬事件に関するノンフィクション本がいくつか出版されているが、複数のジャーナリストが法廷で見たDの人物像は驚くほど共通している。

〈当初、Dと弁護士とのあいだで事件にたいする認識のずれがあり、弁護士側はあせった。

「“君はCの部屋にいて、女子高生にたいする犯行を見てたの”と聞くと“見ていません”と答える。“あんな狭い部屋でわかんないというのはないんじゃない?”と問いかえすと“いや、見たくなかったから、そっちに背中向けて、たばこ吸ってたんです”という調子で」

 最初は、そんなDの言葉が信じられなかった弁護士だが、何回も拘置所で言葉を交わすうちに、Dの認識に独特の世界があることがわかってきた。〉(横川和夫/保坂渉『かげろうの家 女子高生監禁殺人事件』)

〈一年に及ぶ公判を通じて、傍聴人をもっとも悩ませたのは司郎(筆者注:Dの仮名)である。声が小さくて、傍聴席の最前列、証言席からほんの三メートル足らずのところにいても、弁護人や検察官、裁判官の質問に答えて語る言葉を聞きとるのがひどく難しい。地の底からかすかにもれてくるような声で、必要最低限のことしか答えない。事情の説明、情景の描写はほとんどなく、表情のない言葉が、途中でフッと消えてしまう。〉(佐瀬稔『うちの子が、なぜ!』)