「集めたお金を一旦、市場に返してはどうでしょう」――ネットバブル崩壊直後、27歳の起業家・藤田晋に突きつけられたのは、日本最強クラスの“物言う株主”からの容赦ない要求だった。事業縮小か、信念の貫徹か。経営者と投資家、その決定的な分岐点が浮き彫りになる一幕を本人が振り返る。

 10万部を突破したベストセラー『勝負眼 「押し引き」を見極める思考と技術』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

かつて藤田晋氏もあの村上世彰氏とぶつかり合ったという…… ©getty

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藤田晋VS村上世彰

 村上ファンドの村上世彰さんとは六本木ヒルズのマンションに住んでいた頃、部屋がお隣同士で、当時も家族ぐるみで付き合いがあったし、今も気軽に連絡を取り合う関係だ。

 日本における「もの言う株主」のパイオニアのような存在で、世間ではコワモテの印象があるかも知れない。だけど私が知る普段のお隣さんは、すごく子煩悩な優しいパパで、とても家庭を大事にしていて、早起きしては朝帰りの酔っ払いを後目に息子さんと釣りに出掛けていくような人だった。

 そんな村上さんだけど、実は、私も株を買われてかなりのところまで追い詰められたことがある。村上さんが通産省を辞めて独立し、2000年「昭栄」に対し敵対的買収を敢行して大きな話題となった、その翌年のことだ。

 なぜサイバーエージェントの案件は世間で話題にならなかったのか。それは、敵対せずに話し合いを重ね、最終的には楽天の三木谷浩史さんがホワイトナイトとなって助けてくれたからだ(その内幕については拙著『渋谷ではたらく社長の告白』に詳しく書いている)。

 初めての出会いは2001年。恩師の宇野康秀さん(現U-NEXT HOLDINGS社長)からの紹介だったから、最初から仲間のような感覚があった。既にサイバーエージェントの株を買い集めていた村上さんの話はこうだ。

「ネットバブルの時にたくさんお金を調達(225億円)したのは間違いですよね。一旦、市場に返したらどうでしょう」「本業はネット広告ですよね。メディア事業など止めて、本業に専念すべきです」。簡単にいえば、「資金も事業も縮小して、身の丈にあった経営をやれ」という話だった。