「何百人ものきょうだいがいる」「自分は何者なのだ?」
そもそも桁外れのDNA共有は、当事者にアイデンティティの危機を与え得る。精子提供によって生まれた子は、自分を産んだ母親とは血縁だが、自分を愛し、育ててくれた父親とは血が繋がっていないことを知り、衝撃を受ける。加えて「何十人、何百人ものきょうだいがいる」ことに理解が追い付かず、「自分は何者なのだ?」とアイデンティティの崩壊を体験する。
医師が誰にも知らせず自分の精子を注入したケースでは、育てた父親も自分の血を分けたと信じ、慈しんで育てた子供との血の繋がりがなかったと知り、大きなショックを受ける。
#2で紹介した反・不妊治療詐欺の活動家、イヴ・ワイリーのケースはさらに複雑だった。イヴは自分が精子提供によって生まれたことを知っており、父の他界後、精子提供者を探し出す。ドナーの男性とイヴは絆を育み、10年以上にわたって父子として親密に連絡を取り合っていた。ところが母親の不妊治療医師がドナーの精子を使わず、自分の精子を母親に注入したのだと知り、イヴとドナーは血の繋がらない他人であることが発覚。2人はともに深く傷ついた。
ドナーに遺伝性の疾病がある場合も
さらにドナーに遺伝性の疾病があれば、それが多くの子に伝わってしまう。ドキュメンタリー映画『我々の父親』(Netflix)に登場する医師、ドナルド・クラインは、患者に自身の精子を注入し、判明しているだけでも94人の子どもを妊娠させたが、彼は自己免疫疾患患者だった。クラインの精子によって生まれた子供の多くが自己免疫疾患によるさまざまな病状に悩まされている。
なお、『我々の父親』は、DNA検査キットの普及により、クラインの他に44人の医師が患者に自身の精子を注入していたことが発覚したとしている。そのうちの何人が遺伝性の問題を抱えているかは不明だが、IVFクリニックではドナー希望者に遺伝性疾患などのチェックを行っており、希望者の30%が不適格になるとされている。
彼らが子供を多く残そうとする理由は?
今回の記事(#1~#2)に登場する4人の男性が精子を拡散、もしくは子を可能な限り多く作ろうとする(した)理由は、一見それぞれ異なるように思える。
・パヴェル・ドゥロフ(41):ロシア出身、テレグラムCEO
ー3人の女性との間に6人の子供+精子提供により12カ国に100人以上の子供
・イーロン・マスク(54):南アフリカ共和国出身、テスラ、スペースXなどのCEO/世界一の富豪
ー少なくとも4人の女性との間に少なくとも14人の子供
・ジョナサン・マイヤー(44):オランダ人、YouTuber
ー世界中で精子提供を行い、おそらく1000人を超える子供
・ドナルド・クライン(87):アメリカ人、不妊治療医
ー妻との間に4人の子供+精子の無断注入による子供が判明しているだけで94人
「出生率が急落し続ければ、人類の文明は終焉を迎えるだろう」を繰り返し、明らかに出生促進主義者(Pronatalist)であるマスクと違い、ドゥロフは精子拡散の動機について「高品質な精子ドナー」として不妊に悩む人たちを助けるのは「市民としての義務」以外にあまり語っていない。しかしウォール・ストリート・ジャーナルは、ドゥロフの精子提供の背景には「西洋文明の少なくとも一部は衰退しているという、より広範な世界観がある」と指摘している。
ちなみにドゥロフが精子提供している不妊治療クリニックは富裕層を対象としており、ドゥロフの精子を提供され得るのは未婚の37歳未満の女性と条件付けられている。このクリニックの設立者はドゥロフと親しく、ヒトクローンに関する論文も発表している人物だ。


