「縦穴」構造の歌舞伎町と欲望の棲み分け
この街の雑居ビルは、横に広がる町並みというより、地層のように縦に積もる「感情の堆積物」だ。地上1階は呼び込みの声がぶつかり合う表層、2~3階は“軽い火傷”で済む遊戯のフロア、4階を越えたあたりからが怖い。換気扇の奥で鳴る低周波の音、細い廊下の先で待つ黒ずんだドア、貼り替えられたばかりの用途不明のポスター……2000年代前半、雑居ビルの構造はまだ“昭和の名残り”が濃く、看板の上張りを何度も重ねたような、退屈と危険が交差する迷路だった。
テナントの入れ替わりは早いが、ビルの“匂い”だけは変わらない。油と湿気の混ざった空気は、いま思えば街そのものの体温のようなものだった。そこに、トー横キッズや地雷系の若者たちが漂いはじめるのはもう少し後。彼らは、雑居ビルという「穴」に吸い寄せられるように出入りすることになる。
本橋氏はいう。「六十年代後半から歌舞伎町は居場所ない若者たちにとって最大規模の避難場所でした。歌舞伎町の旧噴水広場、大久保公園、雑居ビル、小さな公園などがいま彼女たちの避難場所になっています」。
外見を整形された街
2010年代に入ると風営法改正の波とともに、歌舞伎町はどこか“整形手術”を受けたように外見を整えられた。ただ、雑居ビルの中身だけは、法律の指先が届くよりも早く、地下水脈のように生き残る。その頃から明確になってきたのが「ホス狂い」たちの動線だった。ホストクラブからアフターへ、アフターから“処理と休息”のための狭小ルームへ、そしてビル裏階段の吸い殻だらけの踊り場へ。若い女性たちはそれを“旅程”のようにこなすが、いつも雑居ビルを貫いていたのは変わらない。女性たちの財布や心の「収縮と膨張」のグラフを、階段の段差として記録していた。
そして2018年以降に増えたのが、SNSで光る虚像を“主戦場”に変えた若年層だ。彼らはビル内で眠る灰色の産業よりも、もっと軽やかなものを求めていた。配信部屋、コスプレ撮影スタジオ、地下のレンタルスペース、無許可の撮影スポット、それらはどれも「誰かの承認に向かって穴を掘り続ける行為」の延長線だった。雑居ビルは、もはや“危険な箱”ではなく、“自撮りの背景として借りられる影”になっていった。
とはいえ、雑居ビルには必ず「古い影」が残る。通称“ガラ部屋”と呼ばれる、何度片付けても人の気配が残り続けるテナント。店が消えても消えない配線の束。ドアの郵便受けに溜まる名刺とチラシ。あれらは、街が抱えてきた「面倒な記憶」の断片だ。
そして、トー横キッズが登場する。雨宿りする踊り場や、深夜に酔ったホストが階段の途中で座り込む光景は、どこかで雑居ビルの“影”と折り重なり、不思議な均衡を保っている。歌舞伎町の大半を占める雑居ビルは、誰かの夢が焼け焦げた跡を隠しつつ、今日も新しいネオンの色を壁に受け止めている。その縦穴の深さは、街の光量と反比例する。眩しいほど、ビルの奥は暗くなる。歌舞伎町の「見たくない現実」と「見たがる現実」が、同じエレベーターに押し込まれた結果できた奇妙な世界なのだ。
