JR新橋駅、烏森口。SL広場を見下ろすようにそびえ立つ、白い格子状のビルをご存知だろうか。一歩足を踏み入れれば、金券ショップ、マッサージ、スタミナ食、そしてバイアグラ……。わずか数坪の極小店舗がひしめき合う。2階へ上がれば妖艶な「中国エステ」店の数々。

 まるで“昭和の闇市”がそのままビルになったようなこのカオス空間は、なぜ令和の今も生き残っているのか。ここでは、不動産業界で「再開発が最難関クラス」と恐れられるビルの正体について、フリーライターの本橋信宏氏が監修を務めた『東京アンダーグラウンド』(大洋図書)の一部を抜粋して紹介する。

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オヤジ用途のすべてが揃う…都内最大の闇市が集まった駅前ビル

 新橋駅烏森口の真正面、SL広場を見下ろす11階建てのニュー新橋ビルは、いまなお「昭和40年代で時間が止まった」ともいわれる不思議な商業ビルだ。白い格子状の外壁が持つ古びた威容は、すでに半世紀以上が経ち街の空気に自然に溶け込んだ風景となった。サラリーマンの街・新橋の象徴は駅前のSL広場。だが、戦後から80年の東京の混沌と雑多の歴史をもっともわかりやすく体現しているのはこちらだといっていい。

©︎PhotoNetwork/イメージマート

“コマが細かい”のは闇市が残した権利構造

 1階から4階までが店舗エリアではいまも300店舗を超える店舗が営業している。ほとんどが間口数メートル、なかには通路にスタンドを並べただけのような店もある。なぜここまで不思議な雑居性が生まれ、いまも続いているのか。その秘密は、戦後すぐに形成された都内最大級の闇市「新橋駅前マーケット」にあった。

 終戦直後から数百店もの、多種多様な露店が密集し、出所の怪しいスタミナ食・バッタ物・占い・日用品まで、あらゆるものが並んだ新橋の闇市は、新聞が「新橋は東京でもっとも人が滞留する街」と報じるほどの熱気に満ちていた。

 その闇市整理に建てられたのがニュー新橋ビル。つまり、このビルは巨大な駅前闇市がそのままコマ割りになり、ビルのなかへと取り込まれた構造になっている。

 戦後の闇市は無秩序のかたまりだったが、長年続くと「財産権的な既得権」として扱われるようになり、強制排除は困難となる。そこで行政は、個々の権利者に「一坪」「一・五坪」といった極小の区画を割り当ててビルの区分所有権として引き継がせる方式を採用した。

 この結果、ニュー新橋ビルは一般的な商業ビルでは見られないほどの極小テナントが膨大に並ぶ“パズル状の構造”となってしまう。

 これが改装や統廃合を難しくした。5階より上のオフィスフロアは比較的整理されているが、地階から4階までの店舗階では令和の今日まで「闇市の名残」がそのままだ。これをビル管理の専門家は「戦後の混乱を封じ込めたタイムカプセル」ということもある。