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血の舞踏、怪獣映画、17歳の自分
まず現在も活躍する映画監督たちが語るのは、8ミリカメラを手にして、何を撮りたいと思ったかという初期衝動だ。
ヴィジュアリスト・手塚眞が映画を作ろうと思ったのは、『空飛ぶモンティ・パイソン』のような奇妙な作品を撮りたいと思ったことだった。
サム・ペキンパーに魅せられた黒沢清の最初のショットは、「血の舞踏」と呼ばれるスローモーションの血しぶきシーンの模倣だった。撮りたい映像がフィルムに焼き付いたことに興奮したが、同時にその映像が全然ペキンパーとは違っていたという失望も経験した。
塚本晋也も、父のカメラで怪獣映画を撮ろうとしたが、怪獣づくりという壁にぶち当たった。
そうした壁を、大学生だった河崎実は、円谷プロが着ぐるみを一般に貸し出していることに目をつけてクリアした。
技術的な問題がクリアされれば、あとは自分の頭にある思いをフィルムに焼き付けることだけだ。〈主人公の怒りはおそらく自分の怒りでもある。その思いだけで〉作った石井岳龍(当時は聰亙)の『高校大パニック』(76年)にあふれるパッションはその代表例だろう。
一方〈撮りたい欲望はあるけど何を撮っていいか分からない〉と感じていた犬童一心は、考えを変えて17歳の時の自分を残そうと作ったのがPFFで高い評価を受けた『気分を変えて?』(79年)だった。
本書を読み進めていくと、若き日の監督たちの発想が、現在の作品にも確かに受け継がれていることがわかる。


