8ミリ作家が突き当たったプロの葛藤

 こうして作られた8ミリ映画が観た人の心を動かす。その快感を得た作家たちは、地道に作品を作り続けた。そして、高い評価を受けたこの時代の作家たちの多くが、商業映画に抜擢された。だが、ここで、自主製作と商業映画のギャップに苦悩することとなる。

 自主製作映画として異例の大ヒットを記録した『侍タイムスリッパー』(23年)の安田淳一は〈インディーズ映画が商業映画に唯一対抗できるところは、納得できるまでやり直せること〉と言う。

安田淳一氏(撮影:藍河兼一)

 だが商業映画には、営利ゆえの金銭や時間の制限がある。監督は、現実と理想の板挟みになる。石井聰亙の商業映画『爆裂都市 BURST CITY』(82年)は無我夢中で撮りまくった末に、スケジュール、予算面ともに破綻した。助監督だった緒方明はそこにプロとの差を痛感した。『アイコ十六歳』(83年)で商業デビューした今関あきよしは、初めてのプロの現場で周囲に遠慮してしまったことを悔しい過去として思い出す。一方、大学卒業後に日活(にっかつ)のスタジオに入った金子修介は、ロマンポルノの現場で約6年助監督を務めた苦悩を語る。

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 本書が他の映画監督本とひと味違うのは、こうした理想と現実のギャップを前に、監督たちがかかえた葛藤がつづられていることだ。それを克明に聞き出せたのは、著者であり聞き手の小中和哉自身も、8ミリカメラを足がかりにプロとなった監督だからである。

大林宣彦の映像スタイルと、蓮實重彥の哲学

 小中は、のちに脚本家となる兄・千昭とともに、子どものころから8ミリ映画づくりに携わる。中学3年のとき、大林宣彦の初商業作品『HOUSE/ハウス』(77年)を観て、その実験精神に富んだラディカルな映像スタイルに大きな衝撃を受ける。

 前後して、すでに自主映画界で高い評価を受けた小中は、手塚眞と同じ成蹊高校を経て、黒沢清と同じ立教大学に進み、「映画表現論」を教えていた蓮實重彥と出会う。蓮實は、このころの生徒たちに〈画面に何が映っていたかということのほうが、誰が監督したかということなどよりも遥かに重要なこと〉であると説いている。

手塚眞氏(撮影:藍河兼一)