週刊文春CINEMAオンラインで連載された連続インタビュー「僕たちは8ミリ映画作家だった」が未公開部分を加えた完全版として書籍化された。小中和哉著『僕たちはこうして映画監督になった 8ミリ映画時代を語る』(文藝春秋刊)は、一線の映画監督たちに8ミリ自主映画時代について、またそこから商業監督になっていった道程について聞いた。ウルトラシリーズ、映画『Single8』などの小中和哉監督だからこそ聞き出せた秘話満載の一冊だ。

『僕たちはこうして映画監督になった 8ミリ映画時代を語る』

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映画監督への道は、8ミリカメラから始まった

 いまや日本を代表する映画監督となった庵野秀明が初めてつくった実写作品は、高校3年の時に8ミリカメラで撮った『ナカムライダー』だった。

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〈友達が生徒会長をやっていて、中村という名前だったんだけど、「ラ」がかぶっているから『ナカムライダー』にしようというすごい単純な発想で、『仮面ライダー』と『ウルトラマン』を足して2で割ったようなのを作ってましたね〉

 そんな青年が、のちに『シン・仮面ライダー』『シン・ウルトラマン』といった大作を手がけるのだから、人生はわからない。

 ともあれ、かつて映画好きが高じて「映画を撮りたい」と思った青年たちの多くがまず手にしたのは、8ミリカメラだった。

庵野秀明氏(撮影:藍河兼一)

 1930年代に発売された8ミリカメラは、1960年代の技術改善を経て広く普及した。そのなかで寺山修司、大林宣彦、大森一樹らが独自の8ミリ作品を発表し話題を呼ぶと、各地で自主映画イベントやコンテストが行われるようになった。その最大級のイベントとして1977年から始まったのが、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)だ。

 ちょうど日本映画の斜陽化でスタジオシステムが崩壊しつつあった時期に、この8ミリ映画のムーブメントは、数多の新たな才能を世に送りだした。

大林宣彦氏(文藝春秋写真資料室)

 小中和哉による『僕たちはこうして映画監督になった  8ミリ映画時代を語る』は、そんな映画のあり方が変わりつつあった時代に映画監督を志した作家たちのインタビュー集だ。こうしたかたちで長いインタビューを受けているのは珍しい庵野秀明をはじめ、現在も活躍する映画監督たちが勢ぞろいした、豪華な本である。