20代前半は「自分によく怒っていた」

――4位入賞だったソチ五輪も、上村さんにとっては厳しい採点基準だった記憶があります。それでも上村さんは不満を言うわけでもなく、試合後はいつも菩薩のような表情で感情を飲み込んでいました。心の乱れというものはないのですか?
 
上村 いえいえ、ありますよ(笑)。20代前半は自己コントロールが難しかったですね。自分のイメージ通りの滑りができないとヘルメットを投げつけたり、悔しくて親に愚痴を聞いてもらったり。よく怒っていましたね、自分に。

2006年トリノ五輪では5位入賞 ©JMPA

里谷多英さんにライバル心を抱いた時期

――えっ、ホントですか!
 
上村 多英さんに複雑な感情を持っていた頃もありました。私が精神的に幼すぎて……。多英さんのことは大好きだし、尊敬していて、普段は本当に仲良くしてもらっていたんですが、試合になるとどうしてもライバル心が出てしまって。

 長野五輪で金メダルを獲得したこの人を抜けば世界一になれるんだ、と。とても単純ですが、そう思っていた頃があって、多英さんがうまくいって、私が失敗した時に、どう接すればいいのかわからなくなってしまっていましたね。自分の感情を処理しきれないでいた時期がありました。
 
 でも、ある時多英さんに「幼くてごめんね」と伝えると、「愛子の中で勝ち負けにこだわっている時期なんだなと思っていたよ」と言われました。改めて多英さんの器の大きさを感じましたね。そういう多英さんと一緒だったから、私も次第に本来の自分を取り戻せたんだと思います。

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喜怒哀楽をなくし、精神を高い状態に

――本来の自分は"菩薩"ですか?
 
上村 いやいや、俗人です(笑)。でも負の感情って自分にもプラスにならないし、競技にも影響します。だから、現役中は喜怒哀楽をなるべくなくそう、仙人になろう、と決めて取り組んでいました。もし負の感情が湧いてしまったら、ノートに嫌だったことを殴り書きして消化するか、もしくは深く内省することでかみ砕いていましたね。それも次第に「必要ないな」と思うようになって……。

 精神を高い状態に引き上げ、そこで平常心を保とうとしていました。我ながらストイックだったなと思います。
 
――ピアノ線をピーンと張ったような状態を長く続けるのは辛くないですか。
 
上村 バンクーバー五輪が終わった時に1年間休養したのは、そうした背景もあったかもしれません。応援してくれた方に恩返しするにはメダルを獲るしかないと思っていて、それだけを目指してやってきたところだったので、糸がプツンと切れてしまったような感覚になってしまったんです。(つづく)


 この記事の続きでは、引退を決めたソチ五輪までの日々、東京から長野県白馬村に拠点を移した理由、そして現在の生活について伺った。

撮影=深野未季/文藝春秋

次の記事に続く 「これからの人生を笑うために」ソチ五輪での引退、東京→長野に拠点を移した理由は…元モーグル・上村愛子(46)が葛藤を経て気づいた“大切なこと”

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